――核燃料サイクル確立のために――
金子 熊夫
北朝鮮問題の緊迫化
北朝鮮問題が再び危機的状況に達している。昨年の秋までは拉致問題が最大の関心事だったが、昨年(2002年)10月に北朝鮮が公然と高濃縮ウランによる核兵器製造計画を認めてからは、こちらの方が大騒ぎになり、拉致問題はかすんでしまった。日本の安全保障に直接関わる重大問題であるから、当然の成り行きである。
私は、たまたま昨年10月半ばから2ヶ月間、ベトナム政府の招請で、ハノイの日本研究センターの客員教授として「日本の対アジア外交政策」を講義していたが、外から見ていて、日本人(とくにマスコミ)の国際政治への対応振りがいかに表面的で、その場限りであるかを痛感させられた。まさに“ワイドショー”的といわざるを得ない。
単刀直入に結論から言えば、日本人は、もっと独自の立場で長期的にものを見るべきだということである。米国は、唯一の超大国として最後は軍事力で解決できるから、ある意味で単純だが、軍事力に欠ける日本はそういうわけには行かない。
今後米国が本格的に北朝鮮に軍事的圧力をかければ、核兵器開発を断念させることができるだろうが、それはあくまでも一時的なもので、抜本的な解決にはならない。仮に北朝鮮が断念したと言っても、そして、その担保として国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れたとしても、いずれ遠くない将来再開するのは疑いない。例えばイラクの場合も、1981年にイスラエル空軍によってバグダード郊外のオシラク(Osirak)原子炉を破壊されたはずなのに数年後には核開発を再開した。それを湾岸戦争(1991年)時に米英が空爆で再度破壊したはずなのに、近年また再開し、今回の騒動に発展した。見ていると、大体10年間隔で同じことを繰り返している。北朝鮮もほぼ同じパターンだろう。
「パンドラの箱には戻らない」?
このことは何を意味するか。端的に言えば、国際査察は所詮その程度のもので、それほど当てにならないということだ。誤解のないように言っておくが、これは今始まったことではなく、マンハッタン計画で最初の原爆を作った直後から予測されていたことだ。要するに「パンドラから一旦出た核=原子力という怪物は元に戻らない。核物質を転用して原爆を作ることを阻止する真に効果的な手段はない」(R.オッペンハイマー)からだ。仮に炉や関連施設を完全に破壊しても、科学者の頭の中までは―科学者達を皆殺しにしない限り―破壊できない。しかも、国家が総ぐるみで秘密裏に核開発を決意したら、外部のどんな機関もこれを完全に摘発し、阻止することは出来ない。それが国家性悪説に基づく国際政治の実態である。
とすれば、打開のための選択肢は2つしかないはずだ。「北」を、つまり金正日政権を外科手術で完全に除去するか。しかし、十分な大義名分なしにはそれは出来ない。ならば、北朝鮮に核開発を自らの意思で断念さ、平和路線に切り替えさせる以外にない。韓国の「太陽政策」 はそれを狙ったものだろうが、不十分である。結局米国が、北朝鮮が先に攻撃してこない限り、北を本格的に攻撃することはしないという確約を与える以外にない。その確約を「北」は喉から手が出るほど欲しがっている。つまり朝鮮戦争(1950−53年)の休戦協定を相互不可侵条約に置き換えたいのだ。
米国は、北の「瀬戸際政策」の脅しに屈してそのような条約を結ぶことは断固拒否しているが、もしそれ以外に抜本的な解決方法がないのならば、日本は、韓国と共に対米説得に乗り出すべきであろう。もちろん、拉致問題も満足に解決していない現時点で、日本がそうしたイニシャティヴをとるわけには行かないが、いずれ機が熟したら日本はそうした方向にできるだけ動くべきである。その際、私や他の日米の専門家がかねてから提唱している「北東アジア非核兵器地帯構想」が参考になると思う。米国は太平洋を隔てているからいいが、日本はテポドン・ミサイルで10分そこそこで、どんなミサイル防衛(MD)システムでも完全防御は不可能だ。日本は米国の同盟国ではあるが、地政学的な立場は大きく違うのだから、何から何まで米国に追随するというわけには行かない。
再燃する日本核武装論の備えを
ところで北朝鮮問題は、日本にとって単に安全保障上だけでなく、原子力平和利用の面でも厄介な問題を提起している。日本のマスコミはあまり報道しないので、日本人は気づいていないようだが、昨年末あたりから米国では、「北朝鮮の核開発に脅威を感ずる日本はいずれ必ず核武装に走るだろう。核兵器の元になるプルトニウムも高濃縮ウランも持っているのだから、技術的には十分可能だ。むしろ米国はこの際、日本に公然と核武装に踏み切るように説得すべきだ」といような物騒な意見が出てきている。例えば昨年11月ワシントンで開かれたカーネギー平和財団主催の国際会議でも、かなり責任ある立場の専門家からそのような発言が出ている。私が個人的に参加している国際Eメール会議でも類似の意見がしばしば出てきている。
中には、「北朝鮮がなかなか核計画を断念しないのは、背後で中国が支援しているからで、中国がもっと北に圧力をかけるようにするためには、日本に核武装させるぞという脅しをかけるべきだ。中国にとって核武装された日本は、我々にとって核武装された北朝鮮と同じ悪夢のはずだ」という、きわどい意見もある。1月3日付けの「ワシントンポスト」には著名なコラムニストがはきりそう書いている。
こうした意見を聞くと日本人は、またかと、うんざりするが(広島や長崎の被爆者達は憤激するだろうが)、ただ聞き捨てにするべきではなく、その都度きちんと反論しておくべきだと思う。また、反論する場合には、単に、唯一の被爆国だから、平和憲法、非核三原則、原子力基本法等の歯止めがあるから、というのではなく、なぜ日本が核武装をしないかを戦略的、外交的分析に基づき理路整然と説明する必要がある。逆に、もし日本が核武装したらどういうことになるか、という観点から説明するのも効果的だろう。
それよりもっと心配なのは、実は、こうした日本核武装論が日本の原子力計画、とりわけ核燃料サイクル計画に及ぼす影響である。日本が使用済み核燃料を再処理して抽出したプルトニウムをトン単位で保有していることは世界中に知られている。「もんじゅ」のトラブルで高速増殖炉計画が宙に浮き、いままた東電データ不正事件でプルサーマル計画が大幅に遅れ、未利用のプルトニウムが溜まる一方だ。いくら専門家が、「日本が持っている原子炉級プルトニウムは兵器級プルトニウムとは組成が大違いで、そう簡単に核兵器にはならないから心配無用だ」と釈明しても、なかなか納得されない。
上記のカーネギー国際会議でも、米国の核管理協会(NCI)やグリーンピース等の反原発、反プルトニウム運動家たちが、六ヶ所村の再処理工場問題にしつこく言及し、日本核武装論に油を注ぐような発言を繰り返している。これに触発されたのか、一部の有力政治家達までが日本の核燃料サイクル計画に批判の目を向け始めている。いつまでも「日本核武装論は米国人の勝手な妄想だ」とタカをくくっていると取り返しのつかないことになるやもしれない。新年早々きな臭い話で恐縮ながら、日本の原子力関係者にとって「頂門の一針」となれば幸いである。
◇ ◇ ◇
かねこ・くまお=エネルギー環境外交研究会会長、外交評論家。元キャリア外交官、初代外務省原子力課長。前東海大学教授。現在、(財)日本国際フォーラム理事、(財)地球環境センター理事、核燃料サイクル開発機構運営審議会委員、日本研究センター(在ハノイ)客員教授など。著書に「日本の核・アジアの核」ほか。ハーバード法科大学院卒。愛知県出身、66歳。
(月刊「エネルギー」2003年2月号 巻頭論文「緊急提言」)