(朝日新聞 『論座』 1998年12月号掲載)
ニッポンよ、核の恫喝に屈するな!
― 印パの核実験と北朝鮮の「テポドン」危機をどう見るか?
金子 熊夫
今年起こった国際的な大事件の中で、五月のインド、パキスタン両国の核実験と八月末の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のテポドン・ミサイル(ロケット)発射は、現下のアジアにおける政治的・軍事的状況の厳しさと複雑さを改めて浮き彫りにした。二つの事件は、また、戦後五三年間「パクス・アメリカーナ」の下で平和に安住し、安全保障をあたかも空気(酸素)のように錯覚して、ついぞ身近な問題として真剣に考えることをしなかった日本人に、かつてない強烈な衝撃を与えた。
ただ、これら二つの事件はともに、決して「ある日突然に」発生したものではなく、かなりの程度まで予見できたはずのものである。にもかかわらず、国内の、とりわけマスメディアの過剰な報道ぶりを見ていると、またしても、日本人は日頃、目前の国内問題にかまけて、国際政治の実情にあまりにも無関心、無警戒だったのではないか、また、その後の国内の混乱した対応ぶりを見せつけられると、果たして日本人はこれらの事件の本当の意味を理解し、そのメッセージを正しく受け止めたのだろうかという疑念が生じてくる。そこに、大いなる不満と不安とを感ずるのは独り筆者だけではあるまい。
日本人の反核運動は「欺瞞」?
そう言ったからには、まず、今回の印パ核実験に対する日本国内の反応に関して、私が抱いた率直な感想を述べなければなるまい。
確かにこの実験は全世界を震撼させる出来事であったが、とりわけ、唯一の被爆国日本が受けた衝撃は大きく、連日非難、抗議が嵐のように吹き荒れた。核問題とアジアの安全保障問題の専門家という資格で私自身も、テレビや新聞、雑誌に頻繁に引っ張り出され、人並みに厳しいコメントを発表したりした。
しかし、世間で両国、とりわけインドに対する非難、抗議の大合唱が連日繰り返される中で、生来天の邪鬼の私は、次第に白けた気分に襲われ、ある時期からまともに発言するのを止めてしまった。言いたいことは沢山あったが、したり顔にインド非難と核不拡散の重要性を繰り返す、自称核問題専門家たちに混じって、一緒に発言する意欲が失せてしまったのである。勿体ぶるような言い方だが、その理由を説明しておこう。
一九七〇年発効の核不拡散条約(NPT)を軸とする現行の国際核管理レジームが極めて不平等、差別的なものであることは、いまさら論ずるまでもない。それゆえインドはーー隣国パキスタンやイスラエルとともにーー一貫してこの体制に背を向け、誰の「核の傘」にも入らず、あえて自前の核戦力を開発しつつある。非同盟中立を標傍するインドの立場は、過去数十年間、それなりに首尾一貫している。
これと対照的に、ヒロシマ、ナガサキを経験した日本は、自ら「非核」に徹する代わりに、日米安保条約の下で、米国の「核の傘」に依存する政策をとってきている。これは、戦後日本の厳しくも苦汁に満ちた選択の結果である。しかし、これをインドの側から見れば、「日本人の反核感情は十分理解できるものの、米国の『核の傘』に安住しながら他国の核政策を批判する資格はない。日本の立場は矛盾している。」ということになる。実は、中国も一九九五年に一連の核実験を強行し、日本から抗議された時全く同じことを言っていた。日本が核廃絶を叫ぶことと米国の「核の傘」に頼ることとが果たして矛盾するものかどうかは、見方の問題であり、インドや中国の主張はそのまま承服できるものではない 問題は、今回インドに真っ正面から指摘されて、はじめて「痛いところを突かれた」と感じ、答えに窮した日本人が少なくなかったように見受けられることである。血相を変えて在日インド大使館に抗議に出かけたものの、逆に日本人の核廃絶運動の「欺瞞性」を批判されて、すごすご引き下がった人もいたらしいが、そんなことではいけない。私たちは、国内で、自らの戦争体験や被爆体験から戦争反対、核廃絶を声高に叫ぶのはいいけれども、それだけでは、国際的な説得力は乏しく、国際社会で大きな共感を得ることはできない、へたをすると、かえって日本人は自己本位の国民だ、おめでたい国民だとの批判、時には冷笑すら招きかねないことを、この際改めてしっかり肝に銘ずる必要がある。そして、その上で、国際社会に通用する客観的な言葉と論理で、具体的に核兵器反対、核廃絶を訴え続けて行くべきであろう(その具体的な方法論については、後で詳しく述べる)。
今回国際政治に対する無知をさらけ出したのは、しかし、一般国民だけではない。政治家もほとんど同罪である。世界地図を見れば、印パ両国の置かれた地政学的状況の複雑さは一目瞭然であり、両国対立の根源であるカシミール領有紛争に人種・宗教問題が根深く絡んでいることは、世界周知の事実だ。その対立の厳しさは、元来宗教問題に鈍感な日本人には到底想像もできないものである。それなのに、核実験直後、一部の政治家は国会で、日本がカンボジア紛争で一定の役割を果たした経験を生かして、カシミール問題に関する国際会議を東京で開き、調停役を買って出るべきだという提案を口にした。これには、かねてから一貫してカシミール問題の国際化に反対の立場をとっているインドが、直ちに強硬に抗議してきた。
彼等にしてみれば、核実験そのものに対する日本人の非難はよく理解できる、また日本政府が対印経済援助(ODA)凍結等の制裁処置を課したのも仕方がないことと先刻納得してはいるが、カシミール問題への介入は絶対に容認できない。そのようなことを言う日本政府からは、制裁措置の例外となっている「人道的な援助」すらもらいたくない、と言って反発した。いつになく激しいインド側の不快感の表明にあって、さすがにこの提案はすぐ撤回されたが、後味の悪さは残った。立場を代えて、もしインドが、例えば、竹島や尖閣諸島紛争の調停役を買って出ようと言ってきたら、私たちはどう感ずるだろうか。まして、カシミール紛争とカンボジア紛争がいくつかの点で根本的に異なることも、ちょっと想像力を働かせればすぐ分かることである。あまりにもお粗末な外交感覚と言わざるを得まい。
歴史認識を欠く日本人
しかし、私が連日対印非難一色の新聞やテレビ報道を見ていて、だんだん白けた、というより本当は、悲しい、沈鬱な気分に陥ったのは、これらのことだけが原因ではない。日本人一般の、日印関係に関する歴史認識のあまりの乏しさに正直絶望したからである。
過去百年間だけをみても、明治末期岡倉天心と意気投合し日印友好に尽力した詩聖タゴール、太平洋戦争中インド独立のために最後まで日本軍と共闘したスバス・チャンドラ・ボース、戦後の極東軍事裁判(東京裁判)で唯一人敢然と「日本無罪論」を唱えたラダビノド・パール判事、等々のことは言うに及ばず。日本が米軍の占領下にあった時期、焦土の中で生きる希望さえ失いかけていた日本人を慰め励ます一方、日本の国際社会復帰のために国連などの場で、どの国よりも親身になって働きかけてくれたジャワハラル・ネルー首相。彼はまた、日本の動物園から猛獣がいなくなった(戦争中米軍の空襲に備えて毒殺されたため)のを知って、日本の子供たちが可愛そうだと、わざわざ上野動物園に象を贈ってくれたりもした。
年配の人ならよく記憶しているはずだが、一九四九年九月、最初にインドから子象一頭が到着した時には、あの吉田「ワンマン」首相が自ら上野動物園に出向いてバナナを直接食べさせたりした。ネルー首相の愛娘(後のガンディー首相)の名前をとって「インディラ」と名付けられたこの雌の子象は、同じ頃タイから贈られてきた「花子」とともに、またたく間に日本中の人気者になり、子供たちだけでなく、戦後の耐乏生活に疲れた大人たちの心をも癒してくれた。(ちなみに、「インディラ」は思春期を迎えた一九六七年のある日、発情して突然象舎のサクを乗り越え園内を闊歩、一騒動巻き起こしたが、初の「動物大使」として立派に日印友好関係に貢献した後、一九八三年八月、老衰のため四十九才で死去した。)
他方ーー象と同列にして誠に申し訳ないがーーチャンドラ・ボースについては、一九四五年八月、日本降伏の二日後台湾で飛行機事故のため客死したが、その死は謎に包まれ、遺骨はインドに引き取られることなく、現在も東京・杉並区の蓮光寺に安置されたまま。パール判事については、その後二度来日し、晩年まで両国親善に努めた。死後同博士を慕う人々の手で箱根の芦ノ湖畔に「パール記念館」が建設され、貴重な遺品や資料が展示されているが、そこを訪れる人は今では少ない。
たまたま今夏、東条英機を主人公とする映画「プライドーー運命の瞬間」が上映され、いろいろ話題を提供したが、私はこれを見て、なにか、はぐらかされたような、釈然としない気持ちを感じた。映画には、確かにチャンドラ・ボースもパール判事も出てくるが、いかにも取って付けたような扱いで、両者の果たした歴史的な役割が現在の日本の観客には十分伝わってこない。それも道理で、この映画の製作者の解説によれば、最初はパール博士を主人公に考えていたものの、それでは日本ではとても十分な観客を集められず興行的に成り立たないということで、東条中心に変更したのだとのこと。またしても、彼等は、日本人によって、日本の利益のために利用されたようなものではないか、そして、ここに現在の日本人の対印姿勢が垣間見られるといったら言い過ぎだろうか。
あまりにもアンバランスな日印関係
いずれにせよ、子象「インディラ」のことも、チャンドラ・ボースやパール判事のことも、僅か五〇年ほど昔の歴史的な事実である。それなのに、いかに健忘症とはいえ、こうした日印関係の歴史的背景をすっかり忘れ去ったかのように、いま日本人がこぞって、インドの核実験を一方的に非難、糾弾するとは、一体どういうことなのか。
もちろん、かく言う私も、インドの核実験や核武装を弁護するつもりは毛頭ないし、今回日本政府のとった対応(経済制裁等)も間違っているとは思わない。インドの行動を声を大にして批判・非難することは大いに結構である。しかし、同じ批判・非難するにも、もっと違った表現の仕方があるはずだ。
昨今の日本人の対印態度は、「恩知らず」といわれても仕方があるまい。私の知る限り、インド人の口から、あからさまにそのような不満や恨みがましい言葉を聞いたわけではない。だが、「困ったときの友こそ真の友」(A friend in need is a friend indeed) というように、インドが国際世論の袋叩きにあっている今こそ、私たち日本人は、同じアジア人として、もっと親身な対応をしてしかるべきではなかろうか。
この際ついでに言っておけば、近年の日本政府の対印姿勢もあまり褒めたものではない。二国間の友好関係の度合いを示すバロメーターの一つとして、双方の首脳間の往来を見てみると、インド側からはこれまでに首相や外務大臣が頻繁に訪日しているのに、日本側からは、首相の訪印は一九九〇年の海部首相以来なし。外相の訪印も、一九八七年の倉成外相以来実に一〇年間も空白で、昨年やっと池田外相が訪問しただけである。もちろんこれには種々のやむを得ない事情もあり、一方的に日本側のみを責められないが、それにしても、このアンバランスはいかにもまずい。
民間レベルでも、冷戦終結以後インドが従来のソ連よりの社会主義的な経済体制を改め、西側との経済関係重視政策に転じたため、ここ数年来日印の経済・貿易関係は徐々に拡大する傾向にあり、わが国の対印投資額は、一九九三年の三九億円から九六年には一気に二四七億円に達した。政府開発援助(ODA)については、一九九七年度の有償資金援助(円借款)は約一、三三〇億円で、インドにとって日本は第一位の援助国である。
今回の核実験に対する制裁措置の一環として、無償資金協力(九七年度で約三〇億円)が原則停止になっただけでなく、新規の円借款も停止となった。その結果これまでせっかく順調な拡大傾向を示していた両国の経済関係が、にわかに失速することは避けられない。インドが自分で蒔いた種だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、両国関係の緊密化を願っていたものにとっては、誠に残念な成り行きである。
経済関係以外の日印関係、とくに人的交流や文化・学術交流について見ても、中国、韓国、その他の東南アジア諸国と比べて、きわめて低調である。近年日本の学生で夏休み等を利用してインドやパキスタンを訪れるケースが増えてきているとはいうものの、全般的にはまだ少ない。
私事ながら、私はインドに在勤した経験はないが、外交官時代を含め、過去三〇年間に何度もインドを訪問しており、とくに一九七四年の第一回核実験以後はなるべく頻繁に訪印して外交・国防関係の要人との懇談の機会を持つようにしているが、その都度先方から指摘されることは、日印間の知的交流の欠如である。周知のように、インド人は国際的にも名うてのディベーターで討論を好む傾向があるが、日本人とはそのチャンスがあまりない。たまにそのチャンスがあっても、日本の知識階級は、米国や中国にばかり関心が向いていて、インドにはほとんど無関心だという。とくに核問題になると、双方の立場が違い過ぎていて、議論にならない場合が多い。それでもなお、実際に会って話をしてみなければ、お互いの真意は理解し合えないものだ。
私は、今回の対印制裁措置の結果、ただでさえ細い日印間の知的交流のパイプがさらに細くなることを懸念している。どうも日本の民間人、ビジネスマンは政府の対応を気にし過ぎる嫌いがある。米国やヨーロッパの民間人は、政府の政策とは別に、自由な発想でどんどん進出し、交流している。天安門広場事件以来の彼等の対応がまさにそれだ。インドやパキスタンに対しても、彼等は結構太いパイプを維持している。政府が外交的配慮から動きにくいときこそ、民間人の出番である。
私が日印関係を重視するのはもちろん経済的利益のためではない。日本が二一世紀において、対米、対中外交を誤りなく展開して行くためにも、「インド」という、もう一つの視点に立った複眼思考がことのほか大事と思うからだ。今世紀初頭に岡倉天心が力説したのも、まさにそのことである。人口九億(米国の世界人口研究機関の予測では、二〇二五年には一五億に達し、中国とほぼ並ぶ)の大国が二一世紀において、益々その重みを増すことは間違いない。そのことを、私たちはよく認識しておくべきだ。
近い将来インドが、パキスタンとともに、包括的核実験禁止条約(CTBT)に何等かの形で加盟するのかどうかは、現時点(一九九八年一〇月半ば)では予測できないが、もしそれが実現すれば、経済制裁解除のきっかけになるだろう。仮にそうならなくても、両国との人的交流はむしろ、大いに促進されるべきで、そうすることが日印、日パ間友好関係の増進を通じて、ひいては、インド亜大陸の緊張緩和にも資するものと私は信じている。今までのように、十年一日のごとく、単に両国のCTBTやNPT不参加を詰り、核不拡散を迫るだけでは、あまりにも不毛な外交政策である。
「テポドン」危機をどうみるか
さて、印パの核実験について紙数を使い過ぎてしまったが、この辺で北朝鮮の「テポドン」発射事件に話題を移そう。
印パの核実験がNPT体制を揺さぶる大事件であったとしても、彼等の核ミサイルが日本まで飛んで来るとは誰も考えていないが、北朝鮮のそれは、日本を含む北東アジアの平和と安全保障に直接甚大な影響を及ぼす。その意味で、印パの核実験とは全く比較にならない重大事件であることは明らかである。
八月三一日の正午過ぎに、大浦洞(テポドン)から日本列島上空を越えて太平洋方面に発射されたいわゆる「テポドン」ミサイルが、実は人工衛星打ち上げのためのロケットであったのかどうかはともかくとして、この事件は、北朝鮮がいまや北東アジアのぼぼ全域をカバーする射程距離数千キロの中距離弾道ミサイルの開発技術を獲得したことを実証するものであり、かねてから疑惑の対象となっている同国の秘密核兵器開発計画や生物・化学兵器と併せて、近隣国の安全保障上重大な脅威を提起するものであることに変わりはない。とりわけ日本人にとっては、それは、第二次世界大戦中の米軍機による本土空襲以来初めて体験する直接的な危機感であるといっても、決して過言ではない。
果たせるかな、テポドン事件以後日本国内では、当面の危機対策の一環として、独自の偵察衛星の打ち上げや、米国提案の戦域ミサイル防衛(TMD)構想への積極的参加を容認する雰囲気が各方面で急速に醸成されつつあるように見える。いささか「瞬間湯沸かし的」反応で、「泥縄式」の感無きにしも非ず。一方で、タカ派による我田引水、便乗主義を警戒する声も少なくない。
実は私も、後で述べるように、今回のテポドン騒動で日本人が大騒ぎをするのは、かえって北朝鮮の思う壺で、騒げば騒ぐほど彼等の「ミサイル・カード」の使用価値を高めさせるだけだと思うので、必要以上に国内の危機感を煽るような言動はなるべく避けてきた積もりであるが、この機会に日本の危機管理体制を徹底的に再検討するのはよいことだと思っている。本来なら、一九九三年からー九四年春にかけて、北朝鮮の核開発疑惑や「ノドン」ミサイル発射により朝鮮半島が一触即発の危機状況にあったときに、日本はもっと真剣に考えるべきであった。あの時の日本の対応は、韓国や米国に比べても、きわめて中途半端なところがあった。しかし、今回はそのような一過性の対応では到底済まされず、二一世紀の北東アジア情勢を長期的に展望しつつ、当該地域の安全保障体制をいかにして構築して行くか、そしてそのために日本は関係諸国と協力して、いかなる政策的対応をとるべきかについて、冷静な検討と議論を尽くすことが肝要と思う。これらの点に関しては、私もすでにいろいろな形で自分の考えを発表してきたので、繰り返しを避け、ここでは要点だけを簡単に述べておきたい。
偵察衛星打ち上げは必要である
まず、当面の対応策として、独自偵察衛星の打ち上げ問題については、私は今回のテポドン事件とは関係なく、かなり以前から賛成の立場をとっている。憲法九条の下、日本が「専守防衛」を旨とし、他国を積極的に攻撃せず、そのための兵器(核兵器、航空母艦、長距離爆撃機やミサイル等)を所持しないことを大原則とする限り、せめてアンテナを高く張って危険を事前に察知する能力は完備しなければならない。偵察衛星はそれ自体攻撃兵器ではない。「宇宙の平和利用」を定めた国会決議(一九六九年)に抵触するからいけないという説もあるが、それはおかしい。
私はたまたまこの国会決議の起草に、外務省の担当官の一人として関わった経験があるが、あれは、宇宙開発事業団法制定に関連して出てきたもので、今日とは状況が全く異なる。当時も偵察衛星の可能性は念頭にあるにはあったが、その現実的な必要性は極めて乏しかった。北朝鮮はもちろん、中国のミサイル計画もまだ表面化していなかった時代の話である。当時の国会議事録を見ると、この決議でいう「平和目的」とは「非軍事目的」と同義と解されているが、逆に、「軍事」がすべて自動的に「非平和」だとはいえない。偵察衛星が宇宙平和事業団でなく、自衛隊によって管理運営されたとしても、それゆえ偵察衛星自体が「軍事」だから不可、ということにはならないはずだ。もしそうなら、自衛隊が「ランドサット」のような商業衛星で撮影した写真を購入して解析することも違法ということになるが、それはおかしい。私は国会決議を無視してよいといっているのではなく、決議の趣旨をもう一度正確に再確認する必要があると思う。
偵察衛星の導入に反対する意見の中には、仮に偵察衛星で敵のミサイルが日本に向けて発射されたことが分かっても、日本は独自の対抗手段を持たないから無意味だ、という意見があるが、それもおかしい。対抗手段の有無に関わらず、我々は自らに降りかかった危険を事前に知る権利があり、知らなければならない。癌には有効な治療法がないから人間ドックで検診するのは無駄だ、とはいえないのと同じである。
わが国が独自の偵察衛星を持つと、米国が、従来のようには情報を提供してくれなくなるからまずいとか、中国や、韓国その他アジア諸国が、日本に秘密を察知されるので嫌がり、反発を招くというような意見もあるが、これもおかしい。米国は引き続き提供すると言っているし、また中国はすでに独自の偵察衛星を持っているのだから日本に文句を言うのは筋違いだ。韓国その他のアジア諸国の懸念に対しては、何か別の解決方法があるだろうと思う。例えば、わが国が偵察衛星で独自に得た情報を、要請があれば近隣諸国にも提供するというような国際的メカニズムを設立すれば、地域レベルの信頼性醸成措置(CBM)としても極めて有効であり、それを軸にして、将来東アジアに新しい地域安全保障システムを構築することも可能となるであろう。
その他にも、偵察衛星にはいろいろ技術面、経済面で問題点があろうが、いずれも日本人の能力をもってすれば、クリアできないものはあるまい。いまこそ日本人の柔軟な発想による創造的な構想力が求められる。
戦域ミサイル防衛(TMD)のメリット
次に、懸案の戦域ミサイル防衛(TMD)構想への参加問題である。ずばり結論から先にいえば、私は、この構想自体には基本的に賛成である。
この構想に、いろいろ難しい問題点があることは、かなり広く知れ渡っている。いわく、@技術面では、敵のミサイルを迎撃ミサイルで完全に撃墜することは不可能。いささかでもTMDに穴があくようでは実際上意味がない。A経費面では、日本の分担部分だけでも兆単位の金がかかる。もしそれだけの金をTMDに注ぎ込むと、他の防衛予算は壊滅的な打撃を受ける。B仮にTMDが実現するとしても、実際に日本の自衛隊に配備されるのは今から二〇年くらい先となるだろうが、その間の北朝鮮や中国の核脅威にどうして対処するか。C外交面では、TMD構想には、ことのほか中国が強く反対しており、この構想を強行すれば、中国との緊張が増大し、かえって危険である。DTMD構想は日米間のハイテク開発競争を一層深刻化し、かつてのFSX(次期支援戦闘機)開発計画の轍を踏む恐れが多分にある。等々。
限られた紙数でこれらすべての問題点に論及するのは不可能なので、ここでは、代わりにTMD構想に関する私の基本的な考えを簡単に述べておくに止める。
相手の核兵器を非核兵器(手段)で迎撃し、これを無力化するという点で、TMDは日本のような非核国にとっては、やはり大変魅力的な構想であると思う。かつて一九八三年にレーガン大統領が、TMDの前身ともいうべき戦略防衛構想(SDI)を最初に提唱した時、ソ連は激しく反発した。反発しながらも、ソ連は、これに対抗して核軍備拡張路線を突っ走ったため、ついに自国経済の破綻を来し、やがてソ連自体の崩壊を招いた。中国がTMDに激しく反対しているのも、ほぼ同じ理由によると考えられる。せっかく苦労して蓄えた虎の子の核戦力が、TMDによりその価値を激減させられることになれば、中国としては核戦略を含めた軍事戦略全体の再構築を迫られるだろう。中国から見れば、それは、現在辛うじて存在している米中の軍事バランスを乱し、アジア地域の政治的安定を崩すもので、中国にとりきわめて危険な状態を作り出すわけである。
つまり、ここで問題なのは、TMDの真の目的は何かということである。単刀直入にいってしまえば、TMDの当面の対象は北朝鮮の核ミサイルであるが、中長期的にみれば、真に重要な対象は北朝鮮以外の核保有国、とりわけ中国の核ミサイルであると思う。いささか乱暴な言い方をすれば、せいぜい数個か、数十個程度の、しかも命中精度の低い北朝鮮のミサイルは、それほどの脅威ではない。生物・化学兵器も開発中らしいが、本当に危険なのは核兵器であるから、これの開発はなんとしてでも止めさせなければならない。そのためには、やはり、既存の朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)の枠組みの中で、日本も応分の財政負担を行うべきである。約一〇億ドル程度は、保険と思えば決して高すぎる額ではない。今回無通告で日本列島の上空にミサイルを発射したのは誠にけしからぬ行動で、日本人が激怒するのは当然だが、かといって、これに過剰反応し、周章狼狽したりすれば、相手の思う壺である。日本人は核の恫喝に弱いという印象を与えてはいけない。
他方、中国は別である。中国がすでに四〇〇〜五〇〇発の核弾頭を持ち、各種のミサイルの質的・量的改善を着々と図っていることは公然の事実である。だからといって、私は世上いわゆる中国脅威論に全面的に同調するものではないが、二一世紀において、政治、経済、軍事、あらゆる分野で超大国となるはずの中国と、日本がどのように付き合って行くべきかは、まさに大問題である。正面から、正々堂々と、かつ友好的に付き合って行くべきことは当然であるが、日本もそれなりの備えをしておかなければならない。TMDは、非核国日本に許された数少ない対抗手段ではないか。
それだけではない。TMDは、私を含む多くの日本人がかねてから提唱し、その実現に努力している「北東アジア非核兵器地帯」構想に、中国の参加を促すための、一つの有効な手段、テコともなり得るのではないかと思う。中国がTMDに猛反対であるのは百も承知で、敢えていえば、中国が核軍縮・核廃絶の方向に動いてくれなければ、北東アジアから核の脅威が無くなることは永久にない。中国が核を持っている限り、北朝鮮もそれを持とうとするし、近隣国の不安は絶えない。TMDは、そうした状況を打破する一つの有力な手段であると思う。TMDが技術的に成功するかどうかは、自ずから別問題である。たとえ実現までに一〇年、二〇年の歳月がかかっても、TMDの旗は軽々に下ろすべきではないと私は考える。
北東アジアの非核化への道
ただ、私は、今回のテポドン騒動で、偵察衛星やTMDだけを強引に進めるやり方は賢明ではないと思う。それは所詮日本だけが安全であればよいという利己的な政策と、周辺国は受け止めるであろうからだ。したがって、日本は、偵察衛星、TMD等と平行して、より一層地域全体の安全保障にプラスとなるような、長期的な構想を同時に打ち出して行くべきである。その一つの試みが、まさに「北東アジア非核兵器地帯」構想である。偵察衛星も、TMDもなんらかの方法でこれに関連づけることができれば、さらに効果的かも知れない。
ところで、その「北東アジア非核兵器地帯」構想、略して、「北東アジア非核化」構想、についてであるが、紙数の都合でここで詳述できないので、関心のある向きは、拙著『日本の核・アジアの核ーーニッポン人の核音痴を衝く』(朝日新聞社、一九九七年)の第三章、または雑誌『世界週報』本年八月一八〜二五号掲載の拙論(「『核の傘』は日本の安全保障にプラスにならないーー米の『先制核不使用』宣言と北東アジア非核条約実現に全力を注ぐ時」)等を是非参照いただきたい。
同構想については、私を中心とするグループのほか、米国やヨーロッパのいくつかのNGOグループがいろいろ研究を進めている。私は、また、一九九六年その活動に対しノーベル平和章を授与された国際NGO「核戦争防止のための国際医師会」(IPPNW)等とも協力関係を維持している。IPPNWは、その地域組織として新設した「北アジア地域会議」の第一回会合を昨年一一月長崎で開催し、北東アジア非核化問題に関して本格的な審議を始めた。本年一二月にはメルボルンで開催されるIPPNW総会で、引き続き審議を重ねることになっているが、それには、日本、韓国、中国、米国等のほか、北朝鮮からも代表が参加する予定で、成果が注目されている。
こうした研究会や会議での討論のタタキ台としてもらうために、私は、最近「北東アジア非核兵器地帯条約」案(骨子)を全くの試案として取り纏めたので、その概要を次に紹介して本稿の結びとする。まだ不完全、未熟な案ではあるが、大方の批評、批判をいただければ幸である。
<付属資料>
北東アジア非核化構想の具体案(骨子)
1.基本的な目的
−域内における新たな核兵器・ミサイル拡散の防止。
−既存の核兵器の縮少・廃絶の実現。当面は核兵器の使用・威嚇の禁止に重点。
−透明性の向上により域内各国間の信頼醸成措置(CBM)を高め、地域的安全保障 体制作りの環境を整備。
2.参加国
−日本、韓国、(北朝鮮)、モンゴル、(台湾)、中国、米国、ロシア(英、仏?)
3.参加国共通の義務
−NPT及び国連憲章上の義務の完全遵守。
−核軍縮・ミサイル拡散防止のための国際協力への積極的参加。
4.核兵器国の義務
−域内の非核兵器国に対する核攻撃・威嚇の禁止(消極的安全保障=NSA)。
−先制核不使用(NFU)。
−条約地帯(NEANWFZ)内での核兵器(戦略核を除く)の段階的廃棄又は撤去 (域外への移動)。公海・領海・排他的経済水域(EEZ)内への持ち込みも原則 的に禁止する(但し緊急非常事態において同盟国からの要請または同意があった場 合は除く)。それとも領海・EEZでの「無害通航」を認めるか否かについては一 般的に各国政府の判断に任す(ラロトンガ条約、バンコク条約方式)とするか?
−戦略核についてはSTARTIV,V交渉(中国も参加?)の進展に伴いいずれ段階的 に廃棄。
−国際査察の受入れ(原子力平和利用についてはIAEA査察の受入れ)。
−核兵器・ミサイル技術の輸出・援助の禁止。
5.非核兵器国の義務
−NPT義務の遵守(とくにIAEA査察の完全受入れ)。正式の非核化宣言。
−核兵器国による核兵器持ち込みに対する歯止め、「事前協議」制度の維持(緊急非 常事態の対応振りをどうするか?)。
−ミサイル開発の制限(平和目的ロケット、人工衛星との区別?)
−プルトニウム利用計画の透明性確保(日本の場合)。
6.構想実現のプロセスとタイムテーブル
7.NEANWFW条約機構(とくに査察・監視機能)
8.既存機関(KEDO等)との整合性
9.既存の二国間安保条約等との関連
(この構想案については、無断引用・転載を禁じます。 金子熊夫)