痛い腹、 痛くない腹

                              金子 熊夫

 イラク問題がいよいよ重大な山場を迎えた(3月10日現在)。査察の継続を主張する仏独等と、これ以上査察を続けても無駄で、武力攻撃以外にないとする米英とが国連安全保障理事会で鋭く対立している。果たして、仏独等が主張するように、あと2、3ヶ月査察を継続すれば、イラクの黒白がはっきりするのか。

国連史上、査察がこれほどの大問題となったことは前例がない。そもそも国際原子力機関(IAEA)の査察とはいかなるものか。実際にどの程度効果的なのか。

 世界有数の原子力大国である日本でも、核査察の実態は驚くほど一般に知られていない。あまりにも技術的、専門的な分野だからだ。筆者はたまたま外交官として長年原子力外交や核問題に関与してきたが、でなければ到底理解できない、まさに密教的な世界である。

 核査察が素人に理解し難いもう一つの原因は、国際社会と国内社会との根本的な違いだ。警察や検察制度が確立している国内社会においては、何人も強制捜査の執行を拒むことは出来ない。一旦家宅捜索となったら、個人の意向にお構いなく、畳を引っ剥がし、床下から天井裏まで徹底的に調べる。

ところが、主権国家が並存する現在の国際社会では、全く事情が異なる。今回のイラクの場合は、湾岸戦争(1991年)以来の前科があるので、査察官は安保理からかなり広範な権限を付与されているが、通常の査察の場合は、当該国家の同意がなければ、査察官はほとんど何も出来ない。査察官の人選にも受入国の拒否権が認められているし、査察の日時、場所も事前に通告される。しかも査察官は、受入国が査察対象として自ら申告していないところには原則として立ち入れない。

つまり、悪いことをしようと思えばいくらでも出来る。逆に言えば、現在の査察制度は、受入国が真面目に対応するという前提で成り立っている。

この点で、日本はまさにIAEAの模範生だ。現在国内で稼動中の52基の原子炉を含め、全部で259の施設で査察を受け入れている。核物質の軍事転用が起こり易い再処理工場やプルトニウム加工施設等はとくに厳重な査察下に置かれている。

 一方で「ならず者国家」(rogue states)と言われるイラク、イラン、北朝鮮等が査察の網を潜って勝手に核兵器開発をしているのに、原子力平和利用に徹し、核不拡散条約(NPT)の義務を誠実に遵守する日本が最も厳格な査察を受け入れている。これは明らかに不合理というべきだ。

 IAEAでは、ただでさえ査察予算が不足しているのだから、日本のような国の「痛くない腹」を探るより、イラクなどの「痛い腹」を探るのにもっと人員も資金も回すべきだ、と日本はかねてから主張している。

 ところが、あまりそのような主張をすると、日本は査察を回避したがっている、やはりこっそり核兵器開発を企んでいるのではないかという疑いをかけられる。国際査察を真面目に受け入れることが、日本の原子力平和利用の証しとなっているのは確かだ。そこに日本のディレンマがある。

 最近でも、この1月に、東海村の再処理工場で、過去25年間に206キロのプルトニウムの「計量誤差」があることが判明し、マスコミが騒いだが、そんなことで騒ぐ方がおかしい、それより日本は、「痛い腹」をもっと重点的に探るような方向でIAEA査察制度の合理化の音頭を取るべきだという意見がある。筆者が主宰している「エネルギー環境Eメール会議」(EEE会議)でもそのような意見が最近続出しているが、では具体的にどうするか、誰が猫の首に鈴をつけに行くかとなると中々名案が出ないのが悩みである。

(電気新聞 時評「ウェーヴ」 2003 3 18日 掲載)