朝日新聞『私の視点』(2005/12/08)掲載

   <第2次大戦> 「アジア太平洋戦争」と呼ぼう

                                            金子 熊夫

 戦後六〇周年の今年は、小泉首相の靖国神社参拝問題、中国における反日デモ等々も絡んで、「あの戦争」の歴史的意義を巡る議論が内外で盛んである。

 それにしても、戦後60年も経って未だに「あの戦争」という言い方しか出来ない状況は異常といわざるを得ない。毎年8月15日に東京の武道館で行われる全国戦没者追悼式では天皇陛下も内閣総理大臣も判で押したように「先の大戦」と呼ぶ。ある年齢以上の人々にとってはそれでもよかろうが、若い世代の人々にはいかにも不可解な話だ。

 現在日本の学校で使われる教科書では「太平洋戦争」とか「第2次世界大戦」というのが普通のようだが、元々「太平洋戦争」という呼称は戦後になって占領軍の命令で使われるようになったもので、戦争中日本では「大東亜戦争」が正式の呼称であった(真珠湾攻撃の4日後の昭和16年12月12日の閣議決定)。そのため、今でも「大東亜戦争」と呼ぶと何となく右翼的な響きがあり憚られる雰囲気がある。

 しかし、真珠湾攻撃以後の日米を中心とする戦争を「太平洋戦争」と呼ぶのはよいが、その10年前、すなわち昭和六年、瀋陽(旧奉天)郊外の柳条湖事件で始まった「満州事変」から「支那事変」を経て通算15年間続いた日中戦争や、アジアのその他の地域(旧大東亜共栄圏)で展開された戦争をも含めた総合的な呼称としては適当とはいえない。

 だからといって、いつまでも「あの戦争」とか「先の大戦」でよいはずがない。終戦六〇周年を機に統一的な呼称を正式決定すべきだ。ではなんと呼ぶべきか。

 15年ほど前に日本国際政治学会で検討した時、10以上の呼称が挙げられた。いわく「太平洋戦争」「第2次世界大戦」「大東亜戦争」「日米戦争」「対米英蘭戦争」「日中15年戦争」「興亜戦争」「アジア民族解放戦争」「(日本)帝国主義侵略戦争」等々々。

 これらの中で「第2次世界大戦」という呼称は、性格の異なるアジアとヨーロッパでの戦争を包含したもので、両者の相関関係を世界史的に把握するには便利であるが、どうも一般にはぴんと来ない。そのほかの呼称についてもそれぞれ問題が多い。

 そこで、この際是非提案したいのは、「太平洋戦争」と「大東亜戦争」を一緒にして、「アジア太平洋戦争」を正式の呼称にしたらどうかということである。これが日本だけでなく、戦争に関係した全ての国々に受け入れられる最大公約数的な呼称ではないだろうか。

「アジア太平洋戦争」と呼ぶことによって、私たちは初めて、あの戦争が朝鮮半島、中国大陸、現在東南アジアと呼ばれる地域と西太平洋に及ぶ大規模な戦争であることをはっきり理解することが出来るのである。

今日、中国や韓国では、日本人の歴史認識の欠如を盛んに非難するが、一方、日本では、とりわけ若者の間では、日米戦争のことは比較的よく知られているものの、それに先行する日中15年戦争や、それと日米戦争との関連性となると理解が不十分である。

私自身日本の大学で講義していて、このことをいつも痛感しているが、学生たちの不勉強だけを責めるわけには行かない。大人たちがいつまでも「あの戦争」とか「先の大戦」などと言って、戦争の呼称さえはっきりさせていないのだから、若者たちが戦争の実態や歴史的性格を理解しにくいのは当たり前だ。

日本にはこれまで、太平洋戦争が優れて日米戦争を意味し、最終段階で東京大空襲や広島・長崎への原爆投下で多数の非戦闘員が殺されたので、米国との関係で「被害者」意識が根強く存在する反面、朝鮮や中国に対する「加害者」意識はあまり強くない。そこに日中両国民間の認識の大きなずれがあるが、その最大の原因は、日中戦争と日米戦争を関連付けて正しく理解するような歴史教育がなされていないからだと思う。

最近になってようやく、日韓、日中間で共通の歴史教育の可能性を探る努力が始まったようだが、問題の根源である戦争の呼称についてまず学者、専門家の間でよく話し合って、意見の一致点を見出すべきである。その努力を、政治的な理由を口実に、今まで行わなかったのは学者、専門家の怠慢と言わざるを得ない。いまからでも遅くない。60周年の今年こそ、この問題をまずクリアすべきである。