米印原子力協力問題と日本の対応
金子 熊夫(外交評論家・エネルギー戦略研究会会長)
この四ヶ月ほど、日本では全く報道されず論壇の話題にもなっていないが、米国やヨーロッパでは熱心に議論されている一つの重要な問題がある。それは米国とインドとの原子力協力推進問題である。ブッシュ大統領とシン・インド首相が七月一八日にワシントンで首脳会談を行なった際、「米印グローバル・パートナーシップ計画」の目玉として両国間の原子力協力関係の推進が合意されたことが直接のきっかけで、目下ワシントンではこの件を巡り上院と下院の外交委員会で連日公聴会が開かれている。
周知のように、インドは一九七四年に一回目、一九九八年に二回目の核実験を行った。二回目のときはパキスタンが直後に連続して実験を行い、インド亜大陸における「核の競演」に世界中が大きな衝撃を受けたことは記憶に新しい。
インドは、一九七〇年に発効した核兵器不拡散条約(NPT)にも一貫して反対で、未だに(パキスタンやイスラエルと共に)この条約に加盟していない。その理由としては、インドにとって最大のライバルであり、仮想敵国でもある中国が条約上「核兵器国」として特権的な地位を認められているのにインドが認められていないのは不平等である、という政治的理由のほか、パキスタンとのカシミール領土紛争のために核抑止力が必要不可欠と主張している。
こうしたインドの主張は、しかし、冷戦時代は国際社会の容認するところとならず、インドは異端者として欧米諸国による経済制裁の対象となってきた。唯一の被爆国として非核政策を国是とし、核廃絶の旗を振ってきた日本も、当然のように、インドに対しては長年政府開発援助(ODA)を停止するなどの制裁措置をとってきた。かくしてインドは、(パキスタン等と共に)国際社会から「村八分」扱いを受け、自国の原子力発電のために必要な機器や核燃料を外国から輸入することもできない状態が続いている。インドではこれを「核のアパルトヘイト」と呼んで反発している。
ところが、二〇〇一年九月、米国で同時多発テロ事件が起こってから状況が一変し始めた。アフガニスタンでの対テロ戦争やその後のイラク戦争を遂行する上で米国はパキスタンとインドの協力を必要としたため、ブッシュ政権は急速に対印接近を強め出したからだ。まさに「背に腹は替えられぬ」である。
米国の政策転換の背景には、もう一つ、近年インドがIT大国として急浮上しており、米国企業もアウトソーシング(下請け)などの形でインドとの結びつきを強めていることが挙げられる。人口十億のインドの巨大市場としての魅力も大きい。
しかし、ブッシュ政権の最大の狙いは、目下強大な軍事力を背景に大国化への道を驀進している中国を牽制するためにも、インドを味方につけておいた方が得策だ、という戦略的考慮であることは間違いない。上下両院外交委員会での議論を見ると、「中国脅威論」がいかに根強いかがよく分かる。
今までのようにNPT非加盟ということだけでインドを疎外し続けるのは非現実的だ、インドは、「核の闇市場」の張本人A.Q.カーン博士を抱えるパキスタンと違って、核拡散防止に極めて協力的であり、むしろ、その点を買ってインドを特例扱いする方がプラスだという意見は、ここ数年来米国を中心に専門家の間で盛り上がっていた。実は、筆者もかなり前から同じ意見を内外で明らかにしている(本誌の本年二月一五日号掲載の拙稿「対中外交に備え日印関係を強化せよ」参照)。
ところが、インドを特例扱いするためには、NPT非加盟国への原子力技術・機器・資材の輸出を禁止した「原子力供給国グループ」(NSG)の了解を得る必要がある。このグループ自体、1974年のインドの核実験後結成されたもので、現在日本を含め45カ国が加盟している。米国は前回(本年10月)のNSG会合で「インドを輸出規制の対象外とすべきである」と提案した。これに対して、中国以外の核兵器国、すなわち英、仏、露は直ちに賛成、その他かなりの国が概ね賛成を表明したが、西側先進国の中では日本とスウェーデンが否定的な態度をとっている。中国はごく最近NSGに加盟したばかりだが、本件に関しては当然ながら反対。その他後発原子力技術国のいくつかが中国に同調している。
問題は、日本だ。唯一の被爆国として核廃絶、核実験反対、NPT擁護を終始叫んできた立場からすれば、ここでインドの特例化を認めると、ただでさえ形骸化しているNPT体制を一気に崩壊させるという懸念を抱くのは理解できないでもない。北朝鮮やイランに間違ったシグナルを送ることになるとの指摘もある。
しかし、さらに高い次元に立って考えれば、日本にとっても中国は容易ならざる相手であり、将来とても単独では太刀打ちできないことを考えれば、日本の安全保障の長期戦略としてインドのような国との連携を強めておくべきで、それが現実的な外交というものである。日本は過去百年間日印関係を疎かにしてきたが、いまこそ政策の大転換を図らねばならない(前記拙稿参照)。
もちろん、対印原子力協力を行うに当たっては、色々法律上の問題や国内世論の問題もあるから、慎重に進めるべきだが、基本的な外交路線は、そうした技術的なことではなく、あくまでも長期的な安全保障戦略の観点から大胆に決定すべきである。
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