ノーベル平和賞と原子力教育
金子
熊夫
今年のノーベル平和賞が国際原子力機関(IAEA)とその事務局長のエルバラダイ氏(エジプト人)に授与されたが、この授賞には日本でも疑問視する意見がある。イラン、北朝鮮などの核問題は一向に解決の兆しが見えず、IAEAやエルバラダイ氏の功績があったようには見えない。現在IAEAはイランと米国の板挟みで身動きができないが、今後はもっと頑張れという叱咤激励の意味での授賞だろう。
ところで、日本でノーベル平和賞をもらったのは故佐藤栄作首相だけだが、彼の受賞の理由については日本では大きな誤解があるように思う。日米安保関係の強化とか、沖縄返還実現などの功績が受賞理由だろうと思っている人が多いようだが、それは事実ではない。筆者の外交官時代の北欧の友人でノーベル委員会の裏事情にも詳しい人の話では、1960年代末日本国内がNPT署名の是非を巡って動揺していたとき、政治的な判断で署名に踏み切った(70年2月。条約発効の1ヶ月前)のが佐藤氏の功績とされ、それが授賞の最大の理由だということだ。筆者も偶々この時期外務省で同条約署名関係を担当していたので、この友人の情報は信憑性が高いとみている。
ついでに彼の情報によれば、大江健三郎氏がノーベル文学賞をもらったのも、彼の文学的功績よりも(文学的なレベルなら三島由紀夫の方が高かった)彼が初期に「ヒロシマ・ノート」などの作品を書いたり、広島の反核運動を支援したことが高く評価された結果だということだ。ことほど左様にノーベル平和賞選考委員会は核軍縮問題に関心が強いということであるから、今後日本でノーベル平和賞を狙っている人は、須らく核問題で手柄を挙げることをお薦めする。
一般的に、唯一の被爆国とは言いながら、日本人は核問題について非常に音痴だと思う。核アレルギーではなく、「核アネルギー」(無関心)だと言う、親友の弘前大学医学部の品川信良名誉教授の説に全く同感だ。
もっとも、被爆体験から「核」に対する恐怖心や反感の強さは60年後の今日も相変わらずで、とくに若い世代では「原爆=核=原発=怖い、危険、反対」という先入観が極めて根強いようだ。その最大の原因は、学校の教科書でエネルギーや原子力に関係した記述で一番多いのが、広島・長崎、ビキニ事件、チェルノブイリ事故などで、これで徹底的に反核、反原子力の素地が作られているからだ。これではいくらエネルギー教育をやっても、いくら原子力の重要性を訴えても、効果が挙がらないのは当り前だ。
筆者は、退官して大学教師に転じてからこの15年ばかり、「雇われマダム」よろしく北海道から九州まで招待があれば必ず出かけてエネルギー・原子力・環境問題について中学・高校・大学生に講義したり、教師向けの研修会で講演をしているが、その際いつも痛感するのは、現在のいわゆる「エネルギー・環境教育」が非常に偏っているということである。
そもそもこの種の教育を推進している人々の大半が理科系で、受講する教師も理系が圧倒的に多い。だから授業内容も放射線の測定方法とか原子力の仕組みというようなものが多い。これでは元々理系に関心のある少数の生徒や学生にはよいが、そうでない一般の生徒や学生には全く不向きだ。
日本人の核アレルギーや原子力嫌いを治すためには、まず「原爆=原発」という誤解を徹底的に是正する必要がある。そのためには、原爆と原子力発電所の違いを分かりやすく説明することが基本だ。9月末に「エネルギー環境教育学会」が発足したようだが、まずこの点から実行してもらいたい。
(電気新聞・時評 2005/10/19)