[核戦争防止国際医師会議(IPPNW)北アジア地域会議(広島2005.8.21)での講演要旨]

 

被爆60:  核兵器と原子力 日本のディレンマ

                                金子 熊夫

                      IPPNW日本支部特別顧問)

 

広島・長崎原爆投下60周年の機会に、現在の日本が抱えている2つの深刻な矛盾(ディレンマ)について考えてみたい。

 

<非核政策と「核の傘」依存>

第1の矛盾(ディレンマ)は、唯一の被爆国でありながら、国家安全保障の基盤を日米同盟関係におき、米国の核抑止力、いわゆる「核の傘」に依存する政策を採っているということである。国民は核兵器の廃絶を切に願い、政府も「非核三原則」を長年国是として標榜しているものの、現実に北東アジアにおいてソ連(ロシア)や中国の核兵器の脅威を受け、今また北朝鮮の核の懸念がある状況においては米国の「核の傘」への依存政策を継続せざるを得ないと考えており、昨年12月に閣議決定された防衛計画の大綱においてもこれを再確認している。種々の世論調査によれば、国民の半数以上がこの政府の政策を原則的に支持しているとされる。

 

その結果として、いかに日本国民が市民レベルで反核、核廃絶を叫んでも国際社会においては説得力を持ちにくく、日本人の主張がそのまま受け入れられないという現実がある。この理想と現実とのギャップは、客観的な事実として否応なく認めざるをえない。(1998年インド、パキスタン両国の核実験に抗議した時この事実を先方に指摘されて初めて気が付いた人が多かったが、それではいけない。)

 

とはいえ、核兵器を絶対悪とみなし「核の傘」に反対する人は勿論、米国の核抑止力への依存を是とする人々も、だからと言っていつまでも現状に安住していてよいと考えているはずはない。たとえ至難の道ではあっても、世界で唯一の被爆国国民の道徳的責務として、核廃絶の旗は高く掲げ、核軍縮と核不拡散を世界に訴え続けるべきであろう。

 

<北東アジア非核化構想>

他方、日本自身の安全保障は北東アジア地域の安全保障と密接不可分の関係にあることから、「核の傘」からの脱却を図るためにはまず核の傘なしでも北東アジアの各国が安心して生きていけるような政治・戦略環境を創り出す必要がある。我々がIPPNW北アジア地域会議の場で長年「北東アジア非核兵器地帯」(Northeast Asia Nuclear-Weapon-Free Zone)構想を提唱し、その実現に努力しているのはまさにそのためである。(この点については、すでにこの会議の過去の会合で何度も論じ、具体的な条約案も提案しているので、今回はこれ以上深入りはしない。)

第2の矛盾(ディレンマ)は、原子力平和利用についてであり、今日はとくにこの点について詳しく論じてみたい。

 

<核兵器と原子力発電の違い>

周知のように、原子力の軍事利用(核兵器)と平和利用(原子力発電)の違いは、核分裂反応から生ずる巨大なエネルギーをそのまま瞬時にかつストレートに放出するか、これを原子炉という容器の中で制御しつつ安全な形で取り出すかの違いである。しかし、科学技術的に見れば両者は元々同根であり、後者を前者から峻別する確実な技術的バリアは存在せず、したがって後者から前者への転用(軍移転用)を100%防止する方法や手段も存在しないとされる。このことは60余年前のマンハッタン計画の当初から科学者の間では十分認識されていたことであり、197780年、カーター大統領の提唱で40カ国以上の専門家や外交官が参加(私自身も日本政府代表として参加)して実施された国際核燃料サイクル評価(International Nuclear Fuel Cycle Evaluation=INFCE)ではっきり再確認された結論でもある。

 

そうであれば、「君子危うきに近寄らず」の譬え通り、日本は最初から原子力の軍事利用だけでなく平和利用にも反対し、これに手を染めるべきではなかったと言えるかもしれない。少なくともその方が論理的にも倫理的にも筋が通っていたということはできるだろう。

 

<原子力平和利用の登場>

しかし、実際には核エネルギーを平和目的に使って人類の福祉に役立てようという試みは、第2次世界大変終結直後から欧米諸国で進められ、195312月アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「平和のための原子力」(Atoms for Peace)提案を契機として一気に国際的に広がった。とくに軽水炉型原子炉(LWR)の開発により原子力は無尽蔵の電気エネルギーを供給するほか、「平和的核爆発」(PNE)により大型の土木事業やダム建設等にも役立つと期待され、開発途上国を含め、各国は競って原子力平和利用に乗り出した。現在問題となっているインド、パキスタン、イランを含め、多くのアジア諸国にも米国から研究用の原子炉が供与され、技術指導も活発に行われた(NPT第4条はその時代の産物である)。

 

<日本が原子力導入に踏み切った動機>

日本では、当初は被爆体験に基づく「核アレルギー」に加えて、たまたま同じ時期に突発したビキニ水爆実験・第5福竜丸事件(1954年)の影響もあり、原子力発電の導入に踏み切るべきか否かを巡って賛否両論が激突した。結局のところ、国内にエネルギー資源を持たない国にとって、原子力の持つ潜在的可能性の魅力には抗し難く、厳に軍事利用を排し平和利用に徹することを明記した原子力基本法を制定(55年)した上で、原子力発電に着手したのである。と同時に、原子力による核拡散(軍事転用)を防ぐため、日本は国際原子力機関(IAEA)の保障措置(査察)を受けることを明記した2国間原子力協力協定を米国、英国、フランス、カナダ、オーストラリアと締結した。かくして日本は、被爆から僅か10年後に原子力平和利用への道を選択した。

 

<日本の原子力発電の実績と現状>

爾来、日本の原子力発電は、米国やヨーロッパ諸国の技術協力を得て着実に進み、とくに第1次石油危機(197374年)以後は石油代替エネルギーの一番手として急成長を遂げた。その後スリーマイル島原発事故(1979年)やチェルノブイリ原発事故(1986年)の影響で欧米諸国の原子力が次々と失速する中で、日本の原子力は順調に伸び続け、20世紀末には総発電電力量の3分の1を占める基幹電源の地位を確立するに至った。現在日本国内には、合計53基の原子炉が稼働中で、発電設備容量の合計は約4,700万キロワットに達しており、米国、フランスについで世界第3位の原発大国である。目下原子力委員会が中心になって作成中の「原子力政策大綱」(本年中に閣議決定の予定)では、「2030年以後も総発電電力量の30〜40%程度という現在の水準か、それ以上のシェアを担い続けることが適当」と明記されることとなっている。

 

<地球温暖化対策>

現在日本が原子力発電に積極的である理由は少なくとも2つある。第1に、近年、地球温暖化が進むにつれ、CO2等温室効果ガスの削減が急務となっているので、CO2を排出しない原子力は温暖化対策の面からも重要視されるようになっている。原子力抜きでは、京都議定書で日本に課せられた6%(1990年比)の削減義務を達成するのは不可能という認識が一般的である。このため政府の地球温暖化防止推進政策大綱では、今後20年の間に13〜18基の原発の新設が必要としている(もっとも、これは実際には達成困難で、若干下方修正されている)。

 

<原油の高騰とエネルギー安全保障>

他方、このところ原油価格の異常な高騰が続いている(815日現在67ドル/B)。今後中国、インド等のエネルギー需要の急増により、世界の石油需要は急速に増大すると予想される半面、産油国側の生産余力に限界が見られるので(石油ピーク説)、原油価格は益々上昇すると予想される。とりわけ世界最大の産油国であるサウジアラビアのほか、イラン、イラク等中東産油国の政情不安が嵩じ、原油の供給量が相対的に減少し続ければ、石油、天然ガス等エネルギー資源を巡る争奪戦が世界的な規模で起る惧れがある。このような事態を予測して、例えば中国は極めて活発なエネルギー外交を展開しており、ごく最近も中国海洋石油(CNOOC)が米国の石油会社ユノカル(Unocal)の買収を企て、米国と摩擦を引き起こしたが、これはエネルギー・ナショナリズムの台頭を象徴する出来事で、甚だ危険な兆候である。

 

<地域紛争とエネルギー安全保障>

加うるに、日本(韓国、台湾も同様)の場合、中東から極東まで約13,000キロに及ぶタンカールート(シーレイン)の安全保障という問題もある。マラッカ海峡の安全問題は、最近の海賊事件で関心を集めたが、そのほか、ペルシャ湾、インド洋、南シナ海、東シナ海等、いくつかのチョークポイント(chokepoints)がある。例えば、南シナ海では、南沙(Spratlys)、西沙(Paracels)諸島の領有権を巡って中国、ベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、台湾の間に争いがあり、現在は小康状態を保っているものの、もし当該海域での石油、ガス開発が本格化すれば、一触即発の危険性がある。東シナ海での日中の争いは先刻周知の通り。これらの争いが武力紛争にエスカレートすれば、この海域を重要なシーレインとする日本等への影響は甚大である。

 

折角中東で購入した石油も日本に安全に持ってこられなければ、エネルギー安全保障は成り立たない。仮に石油の確認埋蔵量があと5060年分あるから心配ないと言っても、それは地球上のどこかの国にあるという話であって、常に日本の必要量が適時に入手できるという保障はない。現在日本は日量500万バレルを必要とし、約160日分の備蓄を持っているが、もし地域紛争等により供給途絶が長期化すれば安閑としてはいられない。また、シベリアやサハリンからの石油・ガス輸入についても、パイプライン等の安全保障問題があり手放しで安心はできない(日露間には未解決の領土問題があり、平和条約が未だに締結されていない)。

 

<原子力発電の重要性>

石油を100%海外に頼り、しかもその90%近くを中東に依存する日本は、以上述べたようなエネルギー安全保障上の不測事態に備えて、日頃から万全の対策を講じておかなければならないが、その対策の1つとして、原子力発電が最も有望視される。もちろん、原子力だけで全て解決するわけではなく、まず省エネとエネルギー効率の向上に一段と努力するとともに、風力、太陽光などの再生可能な自然エネルギーの開発や水素エネルギー(燃料電池)の早期実用化にも全力を注がねばならないが、風力や太陽光については、エネルギー密度が小さく、発電の絶対量が少ないという点で必然的に限界があり、水素エネルギーについても、水素をどうして作るか等の問題があり、これらに過大な期待を寄せることはできない。

 

結局のところ、日本として現実的に採りうる最善のエネルギー政策は、在来型のエネルギー(石油、石炭、ガス、水力、原子力等)と新しい色々なエネルギー(風力、太陽光、地熱、バイオガス、水素エネルギー等々)を、経済性やグリーン性に照らしながら、うまく組み合わせて(ベスト・ミックス)使用してゆく以外にないが、その中で、準国産エネルギーである原子力が最も頼りになるものの1つであるということは何人も否定できまい。(ちなみに、日本のエネルギー自給率は主要先進国の中で最も低く僅か4%だが、原子力を国産エネルギーとして計算すると20%)

 

原子力の重要性に関連してもう1つ忘れてならないことは、日本のような技術先進国で原子力の実績のある国が今後とも原子力発電を継続、拡大することによって石油の消費を減らせば、その分だけ石油を開発途上国に回すことになり、アジアのエネルギー安全保障に貢献するということである。その意味では、日本が原子力を継続、拡大することは国際的な責務でもあると言っても過言ではないだろう。

 

<原子力の安全性>

ただし、いかに原子力が必要であるといっても2つの重要な条件が満たされなければならないことは明らかである。1つは、言うまでもなく安全性で、原子力発電にとってこれが大前提的な最重要条件であることは多言を要しない。原子力に対する人々の懸念や不信もこれが最大の原因である。幸い日本では、原子力発電が始まって以来40年、茨城県東海村のウラン加工工場臨界事故(1999年)を除いて、放射能被曝により人が死ぬという重大な原子力事故は起こっておらず(昨年8月の福井県美浜の関西電力発電所事故は2次系配管の破損によるもので、放射能によるものではない)、世界的にみて日本の原子力が比較的安全であるということは間違いない。しかし、もし日本でチェルノブイリのような重大事故が発生したら日本の原子力発電は壊滅的な影響を受けることは確実であるので、原子力安全性維持については慎重の上にも慎重を期さねばならない。

 

<核拡散防止の重要性>

もう1つの問題は核拡散である。すでに述べたように、被爆国でありながら50年前に原子力導入に踏み切った時から、「平和」利用は日本の原子力の絶対的な条件である。核の軍事転用(拡散)を防ぐために、日本におけるあらゆる原子力活動は、原子力基本法以下の関係国内法令で厳しく規制されているほかに、国際的には、核不拡散条約(NPT)上の非核兵器国の義務として、国内のすべての原子力活動はIAEAの包括的保障措置(査察)の下におかれている。IAEAの強制的査察を定める「追加議定書」にもいち早く加盟している。その意味で、日本の原子力は世界で最も透明度が高く、これは、一昨年IAEAにより「統合保障措置」(Integrated safeguards)の適用国と指定されたことによっても十分証明されている。

 

しかしながら、日本は、NPT上の非核兵器国としては唯一、単独に再処理、濃縮、プルトニウム利用(高速増殖炉、プルサーマル)を認められた国であり、このために国際的に特別厳しい監視の目が注がれている。日本には茨城県東海村にある小型の再処理工場のほかに、青森県下北半島の六ヶ所村に大型の商業用再処理工場があり、後者は、再来年以降フル操業すれば年間5〜6トン程度のプルトニウムを生成する。別途、20余年前から委託契約よりフランスとイギリスで再処理してもらった分のプルトニウムが約40トンあり、これらのプルトニウムをすべて合計すると今後相当の量に達する。ただし、英仏に委託した分は大部分がまだ英仏にあり、将来日本に返還されるまでは英仏の管理下に置かれている。日本政府としては、プルトニウムの在庫があまり増えると拡不拡散上好ましくないので、「余剰プルトニウム(excess plutonium)は持たない」という方針を国際的に公けにしている。

 

<日本のプルトニウム政策と核不拡散>

元々プルトニウムは高速増殖炉(FBR)の燃料として使い切ってしまうのが日本の政策であったが、原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故(1995)FBR開発計画が大幅に遅れており、FBRの実用化は2050年頃になると予想される。それまでの間は、プルトニウムはウランと混ぜた混合酸化物(MOX)燃料に加工され、軽水炉(LWR)で消費される(いわゆる「プルサーマル」)ので、「余剰プルトニウム」は発生しないことになっている。もっとも実際にはプルサーマル計画も地元の了承が得られない等の理由により計画通りに進んでいないので、現実に未利用のプルトニウムが溜まる事態は避けられそうもない。

 

この点に関連して、軽水炉級のプルトニウム(reactor-grade plutonium)は兵器級プルトニウム(weapon-grade plutonium)とは質的に大きく異なり、核兵器にはなりにくいということが一般に言われている。従って日本にXXトンのプルトニウムがあるからXX発の核爆弾の製造が可能であるというのは科学的に正しくない(約8kgのPuで1発の核爆弾が製造可能というのは純度の高いPuでの話)。しかも英仏から返還されるプルトニウムも国内産のプルトニウムも当面すべてプルサーマル用でMOX燃料の形であるため、仮にテロリストに窃取されてもそれが直ちに核拡散に繋がる可能性は少ない。

 

しかし、それよりも重要なことは、日本の原子力活動、とりわけ再処理、プルトニウムに関連する活動は、IAEAの厳格な保障措置(査察)を常時受けており、透明度が極めて高いということである。例えば、六ヶ所再処理工場には同じ敷地内に保障措置センターが設置されており、IAEAの査察官も常時駐在している。その上、日本の原子力活動には、米国その他核燃料供給国との2国間原子力協力協定による縛りもかかっていることは前述の通りである。故に、万が一にも日本政府(またはいずれかの非政府団体)がNPT義務を犯して核兵器を秘密裏に製造しようと意図しても、それは事実上不可能といってよい。

 

<「日本核武装論」に積極的に対処せよ>

にもかかわらず、近年、北朝鮮の核開発問題が深刻化する中で、日本も対抗上独自の核兵器開発をおこないのではないかという、いわゆる「日本核武装論」が海外に根強く存在するのは事実である(国内でもごく少数の政治家や学者が時々それらしき発言をして物議を醸している)。これらは大方認識不足による無責任な憶測に基づくものか、あるいは北朝鮮などの場合は意図的な中傷、勘ぐりとみるべきであろうが、さりとて、いたずらに無視、放置しておくべきものではない。我々は折に触れて、「日本核武装論」が全くいわれのないものであることを海外に向かって鮮明にする必要がある。

 

その際特に留意すべきことは、単に「日本は被爆国だから、あるいは核兵器は悪だから核武装はしないのだ」という説明だけでは、いかに熱心に主張しても、国際社会では十分な説得力を持ちえないということである。そういう主観的な主張ではなくて、日本がいかなる状況においても核兵器を自ら造らず、持たない方が得策だ、換言すれば、仮に持ったとすればプラスよりマイナスが遥かに多い、だから核武装しないのだ、ということを、国際政治、外交、戦略論の観点を踏まえて客観的にかつ理路整然と説明する必要がある。広島・長崎の被爆者で、非核・反核はあまりにも自明だと考えている方々の感覚からすると、釈然としないかもしれないが、主観的な信念や決意を一方的に繰り返すだけでは国際的な納得を得にくいことは自覚しておくべきだろう。原爆の実相を知らず、それゆえ、国威発揚等のために核兵器を持ちたいと思っている国や、自衛のために核兵器を持たざるを得ないと思っている国が少なからず存在するからである。

 

<結び>

私たちは、こうした国際社会の現実を十分認識した上で、外に対しては日本の非核政策を粘り強く説明するとともに、内に対しては、エネルギー問題としての原子力平和利用(原子力発電)の重要性を認めつつも、それが絶対に核拡散に繋がらず、安全で、真に国民の福祉に役立つような形で進められるよう、常に監視の目を怠るべきではない。それが、核に関する日本のディレンマを克服する道でもある。 

 

-------------------------------------------------------------------------------

金子 熊夫Kumao Kaneko

 

元キャリア外交官。1961年外務省入省、米国、アジア、ヨーロッパ等で勤務後、初代外務省原子力課長、日本国際問題研究所研究局長、国連環境計画(UNEP)アジア太平洋地域代表、太平洋経済協力会議日本国内委員会事務局長、外務参事官などを歴任。1989年の退官後は東海大学教授(国際政治学)。

 

現在は外交評論家として内外の論壇で活躍するほか、エネルギー戦略研究会会長として日本のエネルギー・環境問題に関する調査研究、政策提言や啓蒙活動を活発に行っている。

 

外交官としては、1960年代半ばベトナム戦争最盛期にサイゴンに在勤し、歴史的なテト攻勢(1968)の激戦に巻き込まれて危うく死にかけたことも。また1960年代末から日本における環境問題の草分けとして、公害から環境への政策転換を先導した。「かけがえのない地球」というキャッチフレーズの創案者でもある。

 

原子力関係では、1977年以後5年間にわたって、東海再処理工場の運転、英仏再処理委託、六ヶ所村再処理工場の立ち上げ等に関する日米交渉、日米、日加、日豪原子力協定の改定交渉等を外務省の初代原子力課長としてすべて担当し、日本の核燃料サイクル路線に関する国際的認知の獲得に尽力した。その間NPT,IAEA,INFCE会議等の政府代表を務めた。

 

著書は「人間環境宣言:ストックホルム会議の報告」、「日本の核、アジアの核:日本人の核音痴を衝く」(1997年、朝日新聞社)、「北東アジア非核兵器地帯構想」、「アジアトム構想〜アジアの原子力の再生」など多数。ハーバード大学法科大学院卒(LLM, 1966年)。愛知県出身、68歳。

 

E-mail: kkaneko@eeecom.jp

URL:  http://www.eeecom.jp/