カッサンドラの予言
電気新聞・時評 (2005.8.16) 掲載
昨年の夏、オリンピック開幕の2ヶ月ほど前にギリシアを訪問した際、わざと喧騒のアテネを避け、約1週間ぺロポネソス半島のコリントス、ミケーネ、スパルタ等の遺跡巡りをした。
旅行中、博学の運転手兼ガイドからギリシャ古代史にまつわる話をたっぷり聞いたが、とくに興味を覚えたのがトロイの王女カッサンドラの話だ。細かな説明を省くと、彼女はアポロン(男神)から予言の能力を与えられるが、彼の強引な求愛を拒んだため、いくら正しい予言をしても人々から全く信じてもらえないという「罰」を受ける。
それゆえ、トロイ戦争のとき、ギリシア・スパルタ連合軍が贈り物として城内に残して行った巨大な木馬が実はからくりで、中に敵兵が潜んでいることを見抜き、必死に警戒を呼びかけるが、誰からも信じてもらえず、トロイはまんまと陥落し、滅亡する。有名な「トロイの木馬」の故事だ。
抜けるように青いギリシアの空の下で聞くカッサンドラの悲劇は妙に印象的で、何故か私は、自分自身がカッサンドラになったような心境になった。他ならぬ、遥かアジア大陸の東端にある「エネルギー小国・日本」の前途にいささか思いを馳せてである。
ギリシアから帰国して間もなく、私は「エネルギー国家戦略と原子力:日本の選択」という大型のシンポジウムを自ら企画し、経団連会館で開催したが、その狙いは、原油高騰を背景に、エネルギー問題を国際政治や国家戦略の観点から議論することであった。
偶々このシンポジウムの直後に私は、東大名誉教授で地球物理学者の石井吉徳氏が“ピーク・オイル”説を熱心に唱えているのを耳にし、参上して直接ご教示を願ったりした。「安くて豊富な石油の時代は終わった。日本もポスト石油時代への対応を急ぐべきだ」という同氏の持論にいたく感銘を受けたが、氏に言わせれば、政府やエネルギー業界はまだ“ノー天気”で真剣さが足りないと慨嘆しておられる。
私自身は、石井説に加えて、中東から13,000キロに及ぶタンカールート(シーレイン)の安全保障にも大きな危機感を抱いている。マラッカ海峡の問題は、今春突発した海賊事件で俄かに現実味を帯びたが、それ以上に私が懸念するのは南シナ海だ。南沙、西沙諸島を巡る領有権紛争は、目下小康状態を保っているが、当該海域での石油・ガス開発が本格化すれば一触即発は明らかだ。東シナ海については言わずもがな。いずれも紛争の主役はエネルギーに飢えた中国である。
シベリアやサハリンの石油・ガス開発についても、日本は中露両国に翻弄されている。他方、イランでは折角アザデガン油田の開発権を獲得したと思ったら、米国の横槍で立ち往生。日本のエネルギー外交は正に茨の道だ。
この対策としてはやはり原子力発電が不可欠なのに、国民の認識は極めて希薄で、政府も腰が引けている。
原子力ついでに言えば、ベトナム等への原子力プラント輸出に対する政府の姿勢も依然として甚だ心もとない。もしこれらの国がロシアやフランス(共に核兵器国)等の原子炉を輸入し、そこで将来大事故でも起こしたら日本は壊滅的な被害を受ける。また、もし核拡散が起こればもろに安全保障上の脅威に晒されるだろう。
これを避けるためには、是非とも日本製の原子炉を輸入してもらい、日本が「安全で平和な原子力」の実施に責任を負えるようにしておくべきだ。それは単に日本の原子力産業の利益だけでなく、日本の、ひいてはアジアの平和と安全のために必要なことだ。
というようなことを私は、「狼少年」のリスクを感じながらも過去25年間予言し続けているが、中々理解が得られない。カッサンドラの心境になるのはこのためにほかならない。