「政冷経熱」の日中関係と歴史認識問題     (世界週報   2004/11/30) 

      
                        金子 熊夫

日露戦争開戦100周年の今年、この戦争の歴史的意義を再考するシンポジウム等が各地で開かれ、中国東北部(旧満州)の戦跡巡りツアーも盛んなようである。歴史好きの私も、春と秋の2回、北京訪問のついでに、大連、旅順、瀋陽(旧奉天)などを訪れた。

旅順では真っ先に、激戦地の203高地へ車を走らせたが、大連から同行した20台半ばの中国人ガイドが最初に私を案内したのは、日露戦争で戦死したロシア将兵の墓地であった。一人ひとりの名前が刻み込まれた立派な墓石が立ち並び、手入れも行き届いていたが、説明板を読んでみると、この墓地は第2次大戦後間もなく日本政府によって作られたもののようだった。いかなる経緯があったのか詳らかではないが、おそらくソ連か中国側に言われて作った(作らされた)ものではないかと思われる。わざわざ旅順まで来て最初にロシア兵の墓を見せられるのは不愉快だったが、若いガイドは、日本人観光客にはまず最初にここを見せるように指示されていたらしい。旅順は現在中国海軍の基地になっており、外国人が勝手に歩き回ることができないので、やむを得ない。

次に、ようやく203高地へ案内された。頂上には、乃木将軍直筆の「璽霊山」の文字が刻まれた、旧日本陸軍の小銃弾の形をした記念碑が建っていたが、それ以外にはとくに往時を偲ばせるようなものは見当たらなかった。乃木・ステッセル両将軍が会見した水師営も、全く保存状況が悪く、拍子抜けするばかりであった。

随所に立っている説明板には、中国語と英語(時にはロシア語)で、一応日露両軍の戦闘振りが記述されているが、それは申し訳程度で、むしろ「ここで日本軍により中国人民が多数死傷し、田畑が蹂躙された。中国人民にとって忘れるべからざる日本軍の侵略行為の証拠である」というような説明が長々と書かれていた。

最初のうち大いに抵抗や違和感を感じたが、これらの説明が中国人向けのものであることを考えれば当然というべきだろう。大体私たち日本人が日頃愛読する司馬遼太郎の「坂の上の雲」などの歴史小説やテレビ、映画では日露両軍の直接対決の模様はかなり細かく描かれているが、現地の中国人のことはほとんど触れられていない。盲点といえばまさに大きな盲点であり、彼我の歴史認識のずれの根源がここにあることを改めて痛感した。

このことをもっと強烈に意識させられたのは、瀋陽郊外の柳条湖に立つ「9.18歴史博物館」を訪れたときだ。1931年9月18日に起こった関東軍による鉄道爆破事件―これがきっかけとなって「日中15年戦争」が始まった―に関連する多数の事物を展示するこの博物館は、江沢民前国家主席の号令で1991年に建てられたもので、外壁には前主席の揮毫による「勿忘国耻」の4文字が大書され、入口の説明板には「9月18日は国辱の日であり、中国人民は未来永劫この日を忘れるべきではない」と書かれている。中の展示物が、私たち日本人には正視に堪えないほど過激なものであることは言うまでもない。

同様な記念館や歴史博物館は南京、北京その他中国各地にある。中でも有名なのは北京郊外の盧溝橋(マルコポーロ橋)にある「中国人民抗日戦争記念館」で、2001年に小泉首相も見学したが、これを近々3倍の大きさに拡充する計画があると聞く。江沢民氏から胡錦涛氏に政権が代わり、昨今「対日新思考」なるものが現れてきたものの、この種の反日的な歴史教育は今後も続くものと思われる。これらの記念館や博物館を連日、幼い生徒、学生から大人まで続々と訪れているから、その教育効果は推して知るべしだろう。

翻って、日本には靖国神社内の「遊就館」以外に本格的な戦争記念館がない(私は長年「太平洋戦争記念館」の創設を提唱しているが未実現)。靖国神社を訪れるのも戦争遺族や高齢者が中心で、一般国民の多くは相変わらず戦争の歴史について学ぶ機会が甚だ乏しい。

実は、瀋陽を訪問した前々日(9月18日)、私は北京にいたが、その日は朝から、中国語のテレビで9.18特集番組を盛んにやっていた。しかし、私が試しに日本人の同行者に「今日は何の日かご存知か」と聞いても即座に答えられる人は一人もいなかった。

田中角栄首相の訪中による日中国交正常化から32年経つが、ここ数年、とくに小泉内閣の発足以来日中間には「政冷経熱」の状態が続いている。その原因の1つが小泉首相の靖国参拝であることは周知の事実だ。私自身―戦争遺族ではないものの―靖国神社には時々足を運んでおり、首相の同神社に対する個人的心情をとやかく言うつもりはないが、両国関係が現状のままでよいとは思われない。

中国側が拘っているA級戦犯の合祀問題を解決するためには靖国神社とは別個の追悼施設を建設するのが最善の策だと考えるが、もしそれが早急に実現しないのならば、もっと他の方法を考えてみるべきだ。その点で1つのヒントになることがある。

前記の瀋陽の「9.18博物館」で約3時間沈痛な気持で展示物を見終わったとき、私は出口の傍に1つの大きな銅像が置かれているのに気がついた。「感謝中国養父母碑」と題するこの銅像は、1999年に日本の中国残留孤児帰国促進会が寄贈したものだという。いかにも実直そうな中国人の百姓夫婦が一人の可愛いい幼児の手を引いている構図が、ほのぼのとした雰囲気を醸し出していて、それまでの暗い気持を幾分か癒してくれ、正直、救われたような気がした。

このような配慮や工夫は靖国神社(遊就館)でもその気になれば何かできるのではないか。勿論この程度のことで日中間の軋轢が完全に解消するはずもないが、たとえ僅かでも双方の心の隙間を埋める努力が今必要なのではないだろうか。

 

  

添付:「感謝中国養父母碑」の写真(04.9.20 瀋陽の「9.18歴史博物館」にて筆者撮影)