「良い国」と「悪い国」
金子 熊夫
今更ながら国際社会は諸々の不平等に満ちているが、それが最も顕著なのは核・原子力の分野だろう。
そもそも核不拡散条約(NPT)では、一九六七年一月一日以前に核爆発を実施した国(米ロ英仏中の五か国)は「核兵器国」として核兵器の製造・保有を公認され、国際原子力機関(IAEA)による保障措置(査察)を完全に免除されている。これに対し、他の国はすべて「非核兵器国」として核兵器の製造・保有を禁止され、それを担保するためにIAEA査察の受け入れを義務付けられている。
これではあまりにも不平等だというので、五か国には核軍縮義務(NPT6条)が課せられているが、現実には全く画餅に終わっている。
他方、非核兵器国には、原子力の軍事利用を放棄する代償として平和利用の権利(同4条)が認められているものの、これまた殆んど有名無実化している。確かに、アイゼンハワー米大統領の「アトムズ・フォー・ピース」提案(1953年)を契機に多数の国々で原子力平和利用が行われるようになったが、それは軽水炉等による一般的な原子力発電に限られ、独自のウラン濃縮や使用済み燃料の再処理、プルトニウム利用(プルサーマル、高速増殖炉開発)等は、非核兵器国では事実上日本にしか認められていない。
もっとも日本の場合も、最初から認められていたわけではない。カーター政権が発足した一九七七年夏、東海再処理工場の運転をめぐって日米が激突した。当時外務省の初代原子力課長であった筆者などは、文字通り命を削るような激しい対米交渉を行い、ほぼ十年かけて辛うじて米国の譲歩を勝ち取った。その結果日本の核燃料サイクル政策は、少なくとも国際法的にはほぼ確立したと言ってよい。
ところが、こうした日本の「準核兵器国」的な地位に対してかねてから強い不満を持つ国がある。ほかならぬ韓国である。
今でも忘れられないが、日米交渉が妥結した翌日、在京外交団の中で真っ先にインドと韓国の外交官が私のところに飛んできて、どのような論法で米国政府を説得したのか是非教えてほしいと懇望した。当時両国も米国から再処理に関する承認を求めていたが、米国は頑として応じなかった。
インドの場合はNPT非加盟だから当然として、韓国の場合は、なぜ日本だけ認められて韓国が認められないのか、こんな不平等は到底承服できないという感じだった。こうした不満と対日不信感が嵩じて、約十年前「ムクゲの花が咲きました」という小説が出版され、超ベストセラーになった。ムクゲは韓国の国花で、南北朝鮮が秘かに協力して独自の核爆弾を作り、それで日本を脅迫するという荒唐無稽の物語だが、そこに潜む韓国人の鬱屈した不平等感は根深い。その点について日本人はあまりにも鈍感だ。
今年一〇月、韓国のウラン濃縮、プルトニウム抽出実験が発覚し、日本でもこれを非難する論調が目立ったが、韓国人にしてみれば、トン単位のプルトニウムを保有する日本からの非難は納得しかねるということだろう。
ところで、今年はブッシュ大統領とIAEAのエルバラダイ事務局長がそれぞれ特定の原子力活動や輸出を国際的に規制する新システムの構築を提案したが、ここでも、どの国に独自の濃縮、再処理施設の建設を認め、どの国にそれを禁止するか、つまり「良い国」と「悪い国」をどう区別するかが大問題である。来年五月のNPT再検討会議に向けて紛糾は必至だ。日本は「既得権者」ということのようだが、だからと言って油断せずに、自らの核燃料サイクル政策を堅持する上でも、十分の自覚と国際的な目配りが必要だ。
(電気新聞 04.11.05)