(電気新聞・時評 2004.3.15)
NPTと憲法第九条
金子 熊夫
このところ世界では北朝鮮、パキスタン、イランなどの核拡散問題が噴出し、核不拡散条約(NPT)体制は今や無いも同然、崩壊の危機に瀕しているという悲観的見方が多い。条約の目的と現状の乖離を埋めるために、この際NPTを抜本的に改正するべきだという意見もある。日本とドイツの核武装を封ずるという当初の使命を達成したのだから今や別の条約で置き換えるべきだという見方もある。
こうした議論は、我が日本国憲法第九条に関する議論とどこか似ているような気がする。ポツダム宣言に基き日本を完全に武装解除し、軍国主義復活の芽を根絶する目的で、マッカーサー総司令部が強引に押し付けた第九条は、ものの見事に日本を骨抜きにしたが、朝鮮戦争を契機に自衛隊が生まれ、今年一月ついに、戦後初めて陸自本隊が海外(イラク)に派遣された。国際的には自衛隊は紛れもない軍隊だ。ならば軍隊の保持を禁止した第九条は非現実的なのだから潔く改正すべきだ、という意見が論壇で増えている。筆者も昔からこの立場に近い。
しかし、遺憾ながら、自衛隊のイラク派遣を支持する国民が50%を切る現在の状況下での九条改正は国論を完全に二分し、大変な混乱を招きかねない。いかに形骸化し、建前だけになった第九条でも、今しばらくこのままにしておくのが正解だろう。
同様に、いかに実情にそぐわなくなったにしても、NPTは現状維持以外にない。もし今改正に着手すれば、元々ガラス細工のような、五大核兵器国と大多数の非核兵器国の間のバランスは一気に崩れ、「パンドラの箱」の蓋は吹き飛んでしまうだろう。NPTが法的規範として存在するからこそ北朝鮮の核を否定できるのであって、もし無くなれば、そうする国際法上の根拠が無くなってしまう。殺人が無くならないからといって刑法から殺人条項を削除すべきでないのと同然である。
では、NPTをそのままにして、他に何が出来るか、何が必要か。まずブッシュ大統領は、二月十一日の演説で、NPTや国際原子力機関(IAEA)とは別に、直接、原子力輸出能力を持つ先進四〇か国―原子力供給国グループ(NSG)―に呼びかけて、「いまだフル・スケールで、稼動中の濃縮・再処理工場を持たない国々には、濃縮・再処理の設備や技術を売らないようにすべきだ」等々の新構想を提案した。確かに一つの有効な方法ではあるが、これには、NPT上の差別(核兵器国と非核兵器国)に、もう一つの差別(原子力技術先進国と後進国)を付け加えるもので、原子力平和利用技術へのアクセス権を保証したNPT第四条に反すると、早くも一部の国は猛反発している。幸い日本は、五大国以外で唯一、濃縮・再処理の既得権益を認められているので心配はないが、だからといって無関心では済むまい。
ブッシュ提案に対抗して、IAEAのエルバラダイ事務局長も、濃縮、再処理のほか、使用済み核燃料やプルトニウムなども対象とする多国間核管理制度を提案している。ブッシュ構想との関係は微妙だが、日本は、アジア地域で今後原子力発電導入国が増えることも想定して、独自の構想―筆者などが長年提唱している「アジアトム」構想を含むーを提案するなど、できるだけ積極的に対応する必要がある。
日本は、国際安全保障面では自衛隊のイラク派遣で一歩前進したが、エネルギー・原子力分野でも「一国安全主義」を脱却し、国際的に“平和で安全な原子力”の推進のために一肌脱ぐべきだ。NPT体制の弱体化を嘆く前にすることが沢山ある。そうした国際的貢献をすることが、とりもなおさず、日本自身の原子力とエネルギー安全保障の強化に繋がるに違いない。