第2回長崎地球市民集会(2003.11.22〜24)
北朝鮮核問題と北東アジア非核核兵器地帯構想
――「日本核武装論」批判
金子熊夫(IPPNW日本支部特別顧問、
外交評論家、元外交官、前東海大教授)
1. 北朝鮮核問題の本質
現時点で北朝鮮核問題の行方について予測するのは至難の業である。肝心の北朝鮮の意図が以前にもまして不透明になっており、対する米国の対応もイラク戦後処理や1年後の大統領選との関係で微妙になって来ているからである。日本も拉致問題を抱えて動きが当面取れない。しかし、そういう混迷状況だからこそ、我々は一本一本の木ではなく、森全体を離れた距離から見るように努めねばならない。
まず現状を整理してみよう。北朝鮮が喉から手が出るほど欲しがっているのは、米国による「現体制の保証」(昔の日本の言葉でいう「国体の護持」)である。一方、日米韓等が強く求めているのは北による「検証可能で不可逆的な核兵器計画の放棄」である。
卑近な言い方をすれば、銃を持って建物に立て篭もっている誘拐犯に、銃を捨てて出て来いと言っているのに対して、先に命を保証してくれなければ銃を捨てて出て行くわけにはいかぬと抵抗しているようなものだ。問題は、この両者の要求をセットで解決する連立方程式をどのように組立てるかである。
私は、20余年前の外務省初代原子力課長時代を含め、朝鮮半島の核問題を日本で最も古くから注意深くフォローしてきた専門家として、このような状況は以前から予測しており、打開のための処方箋もいくつか提示してきた。簡単に要点を述べれば次のとおりである。
先ず第1に、「検証可能で不可逆的な核兵器計画放棄」を北朝鮮に約束させることは、米国がある程度の代償、すなわち「体制の保証」を与えれば、可能だと思う。しかし、北の核放棄約束が単にその場凌ぎで、永続的なものでなければ全く無意味である。問題は実際にどんな方法で永続的な核放棄を担保するかだが、少なくとも現在の国際核査察制度ではほぼ不可能、いや全く不可能である。この点、日本では国際核査察制度の実態が一般に理解されず、「ブラックボックス」になっているため、これを過大評価する嫌いがある。
核拡散問題が深刻化したここ30年くらいの世界情勢を見ると、大体10年単位で核疑惑が再燃しているのが分かる。例えばイラクの場合、最初の核疑惑が浮上した1981年には、イスラエルが隠密裏に戦闘爆撃機を超低空で飛ばして、バグダード近郊のタムーズ原子力研究所の「オシラク炉」(フランス製)を破壊した。それから10年後イラクが核開発を再開したとき、今度は米国が湾岸戦争(1991年)を仕掛けて、再び壊滅させた。さらに10年後、イラク戦争で核兵器を含む大量破壊兵器を除去した(もっとも、現在までその存在も不存在も確認されていないが)。20数年かかってやっと止めを刺した形だ。
北朝鮮の場合も大体同じ経過を辿っている。私が北朝鮮の秘密核開発について最初に警鐘を鳴らしたのは1982年で、当時はソ連が背後で動いていた形跡がある。それが次第に表面化し、危機的状況に達したのが1993年で、北朝鮮は核不拡散条約(NPT)からの脱退を宣言した。あわてた米国は翌94年にカーター元大統領を特使として派遣し、金日成との直談判の結果、ジュネーヴで米朝枠組み合意が成立した。しかしそれで危機が解決したと思ったのは間違いで、10年後の現在、もっと悪化した状態で再燃しているのである。今回仮に北京における6カ国協議で何らかの妥協が成立し、北が核放棄を約束したとしても、それが恒久的な解決に繋がるという保証は全くない。おそらく今後10年以内、いやそれよりもっと早く再燃する危険性が十分ある。
2.国際核査察制度の欠陥と限界
そもそも、核兵器が誕生してから60年弱の間に、実際に完成段階にあった核兵器が完全に廃棄されたのは、南アフリカのケース1件だけで(旧ソ連の核兵器を引き継いだウクライナは別)、しかもこれは南アフリカの自発的な意思によるものだ。それほど外部の力で核開発を放棄させることも、国際査察で放棄を検認することも難しい。ここに国際査察の決定的な限界があるのだが、このことは最近分かったことではなく、実は60年近く前、マンハッタン計画の中心的科学者オッペンハイマー博士たちが正確に予見していたことだ。
現在の国際核査察制度は、丸30年前、1953年12月8日のアイゼンハワー大統領の「アトムズ・フォー・ピース」(平和のための原子力)と題する歴史的な国連演説がきっかけとなって1957年に国際原子力機関(IAEA)が創設されたとき、同機関の主要な任務として生まれたものであるが、これには最初からいくつかの欠陥や限界が内在していた。最大の欠陥は、IAEAの核査察は、加盟国の善意による自発的な申告を基盤するもので、未(非)申告核施設には及ばないということである。例えて言えば、空港で手荷物検査をする際、乗客が差し出すものだけをチェックするようなもので、これではチェックの意味が全くないも同然である。
こうした欠陥は早くから指摘されており、1990年代に、イラクや北朝鮮問題を契機にIAEA査察制度の改善策が議論された結果、未申告施設にも一定の場合強制的に核査察を認める「追加議定書」が出来上がった。しかし、これには150カ国が未加盟で、ただ今現在もイランの追加議定書受け入れ問題が世界の注目を浴びていることは周知のとおりである。北朝鮮は最初からこの追加議定書に加盟する意志を持っておらず、それどころかNPT脱退を宣言している始末である。このような北朝鮮の核開発活動を国際査察でチェックするのが不可能であることは言うまでもない。
3.北朝鮮核問題解決のための3つの選択肢
では、このような北朝鮮にどう対処するべきか? 現在一般に考えられている選択肢としては大きく分けて2つしかないと思われる。1つは、何らかの口実をもうけて、先制攻撃を仕掛けて北朝鮮を壊滅させ、外科手術的に金正日政権を抹殺、排除する方法である。ブッシュ政権はそのような先制攻撃の可能性を放棄していない。しかし、仮にそのような荒療治をしても北朝鮮問題が完全に解決する保証はなく、イラク戦後処理のような事態に陥ることは、大統領選挙対策上も是非避けたい所であろう。地理的に近接する韓国や日本にとっても、蒙る被害が大きすぎるから、そのような荒療治には賛成しがたい。
第2の選択肢は、非軍事的な方法で、韓国の金大中前、蘆武絃現政権の「太陽政策」もその1つであるが、それは単なる宥和政策で、北に時間稼ぎをさせるだけに終わる惧れがある。序でに言えば、1994年の米朝枠組み合意も、結果的には北の非核化を齎さなかったという点で失敗である。(そもそも、KEDOは核問題を核=原子力で解決しようとしたものだが、100万キロワット級の軽水炉2基を作って北に提供するという構想自体が最初から非現実的であった。)
であるとすれば、我々は第3の選択肢を探らねばならない。それは、結局、北が自らの意思で核廃棄を選択するように持ってゆく方法であり、それには――米国や日本の観点からいかに不本意、不愉快ではあっても――北に対して何らかの「体制保証」を与え、時間をかけて内部からの変革を促し、自ら核に頼らなくても生きて行けるような状況を作り出す以外にない。それには当然周辺国も最大限協力する必要がある。
ところで北朝鮮は、ごく最近まで「体制保証」にしろ、「不可侵約束」にしろ、米朝二国間条約の形に固執していたようだが、北の立場からみても、果たしてそれが最善かどうか。民主党のクリントン政権から共和党のブッシュ政権への移行を見ただけでも明らかなように、米国の外交政策は政権交代によって大きくぶれる場合が多い。1994年の枠組み合意に対する米国自身の姿勢の変化が好例だ。むしろ日韓中露を加え6者による連帯保証という形で条約化した方がより一層確実のはずだ。もちろん、日韓にも当事者として主体的に関与できるという利点がある。枠組み合意に基くKEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)では、日韓は、金だけの貢献を求められる脇役に過ぎなかった。
4.「北東アジア非核兵器地帯」構想を今こそ推進せよ
さらに、もしこのような6カ国条約ができれば、単に核兵器だけでなく、生物・化学兵器やミサイルも禁止の対象に含めるべきで、それは即ち北東アジア非核化条約、あるいは北東アジア地域安全保障条約と呼ぶべきものになる。もし北が将来この条約に違反して核兵器等を製造、使用すれば、制裁の対象になり、当然武力攻撃を受ける。これこそが集団的安全保障体制だ。日本政府は、拉致問題が未解決のままでは動きにくいが、時期をみてこのような構想を提案し、関係国を誘導すべきだ。
それでは、実際にこの6カ国条約をどう構築するか、現行の日米、韓米安保条約等とどう両立させるか。これらの問題については、私はすでに具体的な条約案(試案)を作って持っており、IPPNW会合や前回の長崎地球市民集会(2001年)でも明らかにしているので、ここでは繰り返さない。詳細に関心のある方は、拙著「日本の核・アジアの核」(1997年、朝日新聞社刊)の第3章をご覧いただきたい。
このような「北東アジア非核兵器地帯」構想は、現状においては、どこの国もその実現に本気で乗り出す気配はない。米国がブッシュ政権下で益々核抑止力に固執する政策を打ち出しており、日本政府は日本政府で、米国の拡大核抑止力(いわゆる「核の傘」)への依存を一層強めつつあるからである。政府レベルでの動きを期待していては「百年河清を待つ」に等しく、現状打開はできない。
そこで、いまこそNGOが率先して本件構想の内容を練り、実現へのシナリオ造りの作業を積極的に進めるべきである。日本国内でも、IPPNW日本支部やピースデポなどのNGOがすでにそのような作業に取りかかっている。今後の課題としては、この構想に同調してくれるNGOを内外に広く求め、運動の幅を広げることである。
IPPNWの場合、現状では韓国や北朝鮮の積極的な参加が期待できないので、新たにモンゴルにIPPNWの支部を作ってもらい、一役を果たしてもらうことが名案と思われ、これが当面の課題である。中ロ2つの核兵器国に挟まれた同国は、数年前に国連総会で一国単位の「非核国の地位」を認められているが、北東アジアの非核兵器地帯構想にも極めて積極的であるようである。同国のIPPNW活動への参加は北朝鮮などにも刺激材料となり得るという意味で、大いに期待が持てるのではないかと思う。
5.「日本核武装論」批判
6.北東アジア非核兵器地帯構想とその実現への道筋
以上2章は別紙に。 (2003.11.18)