電気新聞・時評「ウェーブ」(2003.8.28)掲載  

     原子力委員長に超大物を

                            金子 熊夫

 東京電力のデータ不正事件が発覚して間もなく丸一年になる。この事件が日本の原子力に与えたダメージは計り知れない。

 「もんじゅ」事故やJCO事故などと違って、実際に被害が生じたわけでもないのに、これほど重大視されるのは、この事件によって日本人の原子力に対する信頼が根底から揺らぐ結果となったからにほかならない。

 しかし、その後の東電の対応振りは、公平に見て一定の評価に値するものであり、また政府サイドについても、原子力安全・保安院の活動振りなど、必ずしも未だ十分ではないものの、それなりの改善の跡は認められる。

 ところが、その中にあって衆目の一致するところは、本来日本の原子力活動の総本山であるべき原子力委員会の影の薄さである。三年前の省庁再編で、長年同委員会を事務的に支えてきた科学技術庁は無くなったが、姉妹機関の原子力安全委員会と一緒に新設の内閣府に移籍して、国家行政組織上は一層強化されたはずである。

しかも法律(旧設置法)によって、原子力委員会の決定は内閣総理大臣も尊重しなければならないと明記されており、権威があるものとされている。にもかかわらず、現在の原子力委員会が本来期待されている任務を十分果たしているように見えないのはなぜか。

その原因は、ずばり言えば、原子力委員会の構成と人選にある。もちろん、現在その任にある人々の個人的資質や能力を云々するような失礼なことを言っているのではない。むしろ逆境の下で精一杯努力しておられると思う。

 しかし、現在の状況は個々の委員の献身的な努力でなんとかなるようなものではない。特に問題なのは、原子力委員長の人選方法である。

委員会は昔から五名(常勤三名、非常勤二名)の委員で構成されているが、そのトップは、三年前までは国務大臣である科学技術庁長官が兼務する仕組みになっていて、歴代委員長の中には後に総理大臣になった佐藤栄作、三木武夫、中曽根康弘、宇野宗佑氏など錚々たる大物政治家が含まれていた。

しかるに三年前の改革で大臣の委員長兼務は廃止され、民間人が任命される仕組みになった。これには、それなりの理由があったわけだが、ただ今現在の原子力を取り巻く厳しい状況を考えると、この仕組みは甚だ不適当といわざるを得ない。

例えば、原発所在地の知事や市長などと折衝する際にも、相手は選挙で選ばれた首長の強みを発揮できるのに、民間人の原子力委員長ではまともに太刀打ちできない。ここはやはり、政治家を委員長に充てるべきである。

もし現職の国会議員の委員長就任が制度的に無理なら、引退した大物政治家、できれば総理大臣経験者を委員長に据えるくらいの思い切った人事を行うべきだ。

あるいは、もしどうしても民間からというなら、例えば元経団連会長というような財界の超大物を据えるのもよい。理想を言えば、故土光敏夫氏のような大人物である。

 かつて原子力の黎明期には文字通り第一級の著名人や実力者が委員会に名を連ねていた。いまや未曾有の原子力受難の時代、ただでさえ労多くして報われることの少ないポストに現役の政治家や財界人はしり込みするだろうが、功成り名を遂げた人ならば問題ないだろう。

 原子力が二十一世紀の日本にとって引き続き必要不可欠のエネルギーであるとするならば、その大黒柱には真に国民的な信望のある大人物を据えるべきであろう。であるならば、そのような大人物の早期発掘と担ぎ出しに今こそ総力を結集すべきではあるまいか。 もはや一刻の猶予も許されるべきではない。

         (2003.8.25