(電気新聞・時評 2004.2.10)

    日米同盟と日本のエネルギー安全保障
      

                          金子 熊夫

遂にというべきか、漸くというべきか、陸上自衛隊本隊のイラク派遣が実現したが、ここに至るまでの国会の対応や世論の動きを見ていて暗然とした気持ちになったのは筆者ひとりではあるまい。派遣を承認する国会本会議を全野党議員だけでなく、自民党の三役経験者である有力議員三名が欠席するという異常な事態となったことは、誠に遺憾というほかない。

気の毒なのは、このように国論が分裂した状況下で「戦地」に派遣される自衛隊員諸君である。人道・復興支援のためであって直接戦闘活動を行なうのが目的ではないと言っても、いつ何が起こるか分からず、万一の場合も想定しておかなければならない。現に、昨年暮には、二人の外交官が非業の死を遂げた。「銃後」の日本人にとっても決して他人事では済まない。

 実は―今まであまり触れなかったので親しい友人たちでさえ知らないと思うが―筆者自身三六年前、危うく「戦死」して「戦後殉職日本外交官第一号」になりかけたことがある。当時はベトナム戦争の最盛期で、サイゴン(現在ホーチミン市)の日本大使館に在勤し、日々死と背中合わせの生活を続けていたが、一九六八年一〜二月の旧正月休暇中、偶々訪問先のフエであの歴史的なテト攻勢に遭遇し、北越・解放戦線(ベトコン)軍と米・南越軍間の猛烈な市街戦に巻き込まれ、約10日間文字通り死線をさまよった。

あの極限的な状況の中で最も痛切に思ったことは、「犬死だけはしたくない!」ということだった。自国が直接関与した戦争なら、「祖国」や肉親のために犠牲になる、ということで納得もできようが、そうでない戦争に巻き込まれて死ぬのは真っ平だ、死ぬにも死にきれない、という心境だった。

 もちろん当時と現在とでは事情が大きく異なるが、いずれにせよ、今回イラクに派遣された自衛隊員や常時現地に駐在して困難な任務を遂行しなければならない外交官諸君の「武運長久」を切に祈るのみである。

 それにしても、解せないのは、今般の自衛隊派遣に反対の人々が「大量破壊兵器が存在しなかったのだから、イラク戦争そのものが “大義なき戦争”だった」と言っている点である。この考えが基本的に間違っていることは、昨年103日付け本欄の拙稿「ハイヌーンとシェ―ン」でもはっきり指摘したとおりである。

 そもそも日本政府が昨年三月イラク開戦支持を表明したのも、今またイラクの戦後復興支援のために陸上自衛隊の派遣に踏み切ったのも、米国の圧力によるのではなく、ましてブッシュ大統領を喜ばせるためではない。そうすることが日本の国益に合致すると判断したからである。勿論この場合「国益」の中身は、非常に多面的である。

例えばエネルギー問題の視点だけから見ても、中東に輸入石油の九〇%を依存する日本が米英と協力して中東地域の安全保障のために汗を流すのは当然だ。中東問題は日本経済にとってまさに死活的重要性を持っており、この面でも「安保ただ乗り」は許されない。

ついでに言えば、フランスやドイツがイラク問題で独自の外交路線を選択できる理由の一つは、彼等の中東石油依存度が日本より遥かに低いためだ。このことを忘れて、徒に「日本も仏独を見習え」というのは虫が良すぎる。しかも日本とペルシャ湾の間の13,000キロに及ぶタンカールートの防衛は日本だけでは対応できない。日米安保協力は、極東地域だけでなく、南シナ海以遠においても不可欠である。

今日本人に必要なのは、そうした日本のエネルギー安全保障上の脆弱性と、日米同盟の持つグローバルな意義をはっきり自覚し、自らに課せられた国際的政治責任を果たすことである。