米国テロ事件の影響と北東アジア非核化への展望:日本人の役割
(IPPNW公開フォーラム 2003.2.11 京都にて)
金子 熊夫 東海大学教授、IPPNW日本支部特別顧問
9月11日にアメリカの同時多発テロ事件があり、世の中は180度変わったということになっているわけですが、そう言われればなんとなく変わったような気がする。すくなくとも、アメリカは非常に変わった。しかし、さらによく考えて見ると果たして何がどう変わったのかよくわからない。日本では、テロ特別措置法というのができて、海上自衛隊が初めて戦闘地域に出て行くということで、これは確かに憲法9条から言えば大変なできごとである。こういうことが起こったという点では確かに変わったと言える。しかし、これは昔からある問題で、本来ならばもっと早く解決すべきことであったが未解決であったために今回慌ててしただけのことで、これは別に大きな変化ではないと私は思います。
核の問題に限っていえば、果たして何がどう変わったのか。良い方向に変わって、核軍縮が進み、核兵器廃絶がまもなく実現するともなれば、今度のテロ事件もそれだけの意味があったと言うことになるが、果たしてそうか。 本日は、「米国テロ事件の影響と北東アジア非核化への展望:日本人の役割」ということで、ご一緒にいろいろ考えてみたい。
また、本日は、核兵器や核軍縮、核廃絶という、いわゆる戦争や平和問題のほかに、特に、京都支部の先生方のご要望もありますので、核のもう一方の側面である原子力発電についても考えてみたい。核というのは軍事目的に使えば核爆弾、しかし平和目的には原子力発電にも使われる。 核問題を勉強する以上は、平和利用の核と軍事利用の核を切り離してではなく、やはりセットにして考えなくてはいけないと思う。例えば、原子力発電にかかわる人も、核兵器の軍縮や廃絶に関心を持たなければいけないし、同じように、核軍縮運動にかかわる人たちもイデオロギーに偏らず、原発の問題を冷静にみなくてはいけないと思う。核の軍事利用の面と平和利用の面についてお話させて頂ければと思う。
さて、アメリカの9月11日のテロ事件が特に、北東アジアにおいてどのような影響をもつかということですが、まず、グローバルにみると、アメリカとロシアの問題が重要である。先日ロシアのプーチン大統領が米国のブッシュ大統領を訪問し、懇談した議題の中に、戦略核兵器の削減問題があった。核兵器は56年前の広島・長崎以来ものすごく変遷・発達し、いくつかのタイプの核兵器にまで分かれている。一番威力があるのは戦略核兵器で、殺傷能力は広島・長崎の何千倍もある。また、ミサイルが50年代、60年代から発達し、かつては考えられなかったことができる。昔は、B29で運んできたわけですが、今は、例えば、アメリカから射程距離1万2千キロで発射すれば、モスクワや北京もたたける長距離ミサイル、大陸間弾道弾(ICBM)ができたことにより、核戦略は大きく変わった。
第1次世界大戦頃までは、兵隊さん同士が戦場で殺しあうという戦争のやり方であったが、第2次世界大戦ごろから、ドイツ軍は強く戦場ではなかなか勝負がつかない。そこで、兵隊さんの頭越しに長距離爆撃で中心部をたたき、一般市民を巻き添えにして心理的圧迫を与えた。ドレスデン、ベルリンや東京でも、広島・長崎に匹敵するくらいの非戦闘員を無差別に殺すと言うことが戦略的な戦争の仕方としてでてきた。日本の場合は、アメリカは早いうちにサイパンやテニヤンなど島をとってそこをベースにして、日本の心臓部である東京に直接攻撃を仕掛けてきたわけである。本土を攻撃し、婦女子、老人を含めて非戦闘員をころすことで、戦場で戦っている兵隊さんの士気を弱める。戦略とは心理的効果を狙っていると言う意味で、市民を巻き添えにして爆撃するという概念が第2次世界大戦の途中から出てきた。戦略爆撃の極致が広島・長崎の原爆投下で、その後ますます戦略爆撃の考え方が進み、50年代末から60年代にかけて、ミサイルが発達してきた。中距離ミサイルは4,5百キロ、長距離は8千から1万キロといろいろあり、お互いがいろいろなレベルで殺し合いをする。戦場で勝負がつかなくても背後の一般市民を人質にとったり、政治や経済の中枢をたたくことにより敵の戦意をくじくと言う考え方である。そこに核兵器が出てきて、ミサイルの先端に核をつければ核ミサイル。 ミサイル自体は飛び道具だからその先端に通常火薬の爆弾をつければ普通の爆弾だが、核弾頭をつけることにより威力がます。冷戦時代は米国と旧ソ連がしのぎをけずり核兵器をふやした。1980年代が最も核兵器の数は多く、7万から7万5千発あったと言われている。その後、話合いで次第に減らしてきて、さらに10年前の冷戦終焉により数は減少してきて、だいたい、3万発といわれているが、その正確な数は誰もわからない。最近、米ロの話し合いでそれぞれが、2千発前後まで減らすといわれているが、現在は、米ロがそれぞれ長距離戦略核兵器を7千発前後もっていると言われている。
また、これとは別に、中距離である戦域核兵器と短距離である戦術核兵器がある。中距離については、約10年前にレーガン・ゴルバチョフの話し合いで、米ソとも中距離核兵器は無くすとこになって一応ないことになっている。韓国には以前はあったようだが撤去された。沖縄にもあったのではとよくいわれるが、今はないことになっている。
このように、中距離核ミサイルは現在ないことになっている。今あるのは、長距離の戦略核ミサイルと短距離の戦術核ミサイルである。おそらく両方とも同じくらいの数があるだろうと言われており、合計約3万発の核ミサイルが現在あるといわれている。米ロ以外にもフランス、イギリス、中国が持っており、現在地球上に3万発ぐらいあるといわれている。
米ロの話し合いで戦略核兵器が減ったことで喜んではいられない。戦術核兵器については、話し合いすら行われていない。小さいものはスーツケースにはいるものから、また、核地雷というのもあるらしく、査察もできないし、空から偵察衛星でみることもできないのでその把握は難しくいくつあるかはわからない。長距離の大きな核ミサイルの場合はローンチャーという発射台が大きく今の偵察衛星能力でおおよそはわかってしまう。探知できない小さな核兵器については、互いに猜疑心に満ちた交渉であるので、相手が減らすという確認がとれないことには、減らすわけにはいかない。その確認がとれず、疑心暗鬼で全く減らされてはいない。やはり、NGOが大きな声を出してこちらの方も減らす交渉にはいるように促さなくてはいけない。射程の短い戦術核兵器は使われる可能性が、戦略兵器に比べて一層あるのではないかと心配している。
よく、核兵器は無用の長物、使ったら世界から大批判を受けるので使えない兵器だと言われる。56年前、トルーマン大統領は最後まで、広島・長崎に核兵器を落としたことは間違ってなかったといって死んでいったが、今の時代に核兵器を使った大統領は世界から大変な非難を受けるだろう。これは、政治家としてはできない。使えないことが分かっていても、大国のシンボルとして持つことにより威厳を保ちたいので、核兵器はなかなかなくならない。私が一番心配するのは、広島の百分の一ぐらいの威力で、限定された戦場で一般市民をあまり巻き添えにしなくても使える超小型核兵器である。今、米国が考えているのは、オサマビンラディンが隠れているところ、例えば、ベトナムでもそうですが、モグラの穴みたいな穴が掘ってある。そこに隠れていれば、絨毯爆撃でも大丈夫。 ビンラディンもこのような所にいれば普通の爆弾では殺せないが、数十メートルも地中に貫通した所で爆発する「バンカーバスター」という兵器がある。ペンタゴンの専門家たちはこれを使うことも考えていろいろ準備している。
96年にハーグの国際司法裁判所が核兵器使用の違法性に対して勧告的意見を出した時、アメリカ国務省の法律顧問は、超小型核兵器は残虐性がないし使えると一貫して主張している。一般に世間でいわれるよりも、核兵器は使われる可能性があると私は思っている。ビンラディンが捕まらない、アメリカの面子も立たないとなると、超小型の核兵器を使うことは考え方としてはありうる。核兵器は2度と使われないが、象徴的な意味で持っているのだという印象が強くなり、世の中で核兵器廃絶問題への関心が薄くなってきているが、私は、そんなに安心できる状態だとは思わない。
北東アジアとの関係ですが、北東アジアの非核化といった時には、日本、南北朝鮮、モンゴル、中国、ロシア、アメリカを含めて、北東アジア非核地帯をつくろうということであるが、外務省はこれは理想論だという。果たしてそうなのだろうか。 非現実的で中国も北朝鮮もロシアも乗ってこないだろうか。肝心の日本政府はどうか。日本は、日米安保条約でアメリカに守ってもらっているが、これには核兵器も含まれている。つまり、日本は核の傘の中にはいっているから安心ということになっている。だからアメリカに対して文句はいえない。核兵器廃絶とはいえない。アメリカにしても、核の傘に入っていながら勝手なことを言うなとなる。このあたりの本当の関係はどうなのか。
ここで少し細かい話になりますが、先制核使用と言う問題がある。時間がないのでこれについては、用意したプリントを配布しますが、要するに先制核使用というのは、相手が核を使ってこなくても、こちらは最初から使うぞというもので、アメリカ、ロシアは、この先制核使用の政策を放棄していない。中国は、自分のところの核兵器はアメリカの核兵器に比べてまだまだ弱いので、アメリカに最初に攻撃されるとミサイルはやられてしまうかもしれない。これが怖いので、中国はアメリカに対して先制核使用はお互いに止めようと提案している。しかし、アメリカは、核攻撃に対してだけでなく、生物・化学兵器に対しても核兵器で抑止するという戦略をとっているので、なかなか先制核使用政策を放棄できない。ただ、真相はどうもそれだけではないようです。
3,4年前にクリントンが中国を訪問した時も、中国の強い申し出に応じて先制核不使用を共同声明の中でほとんど宣言するところまでいったが、事前に日本政府に打診したところ、日本政府が反対した。もし、アメリカが中国との間で先制核不使用を宣言したら、日本人はアメリカの核の傘の信頼性を失う。いざとなると米中が談合して中国に対して核を使わないとすれば日本にとって核の傘の意味がなくなる。ならば、自分でメイドインジャパンの核兵器を持とうと言う話になり、実際こういうことを言う政治家もいる。しかし仮にそうなっても日本政府としては実際に核武装には踏み切れない。また、アメリカも中国も、科学技術力とプルトニウムをたくさん持っている日本を刺激したくない。ということで、3年前には日本の顔をたてて、米中の先制核不使用の宣言は行われなかった。このあたりが大体の真相だと思う。
ところで、日本政府を支えているのは日本国民であるが、ある世論調査によると日本人の7割から8割が核の傘は必要だと言っている。アメリカの核の傘があるから安心で、なくなるとアメリカに対する信頼性がぐらつく、しかし、中国の属国になるのはいやだから、自前の核兵器で対抗しようということがでてくる。しかし、このようなややこしい話にしたくないから、核の問題には触れずに蓋をすることになる。こういうことを我々日本人はどのようにとらえるべきなのか。
私自身は、核の傘は、そもそも役に立たないと思っている。いくら想定しても核の傘が有効に使われるような状況は考えられない。しかし、そのような実際には無意味な核の傘であっても、これをなくすとなると、今のような理論的な問題が出てくる。もし、核の傘がなくなって、中国やロシアに攻撃されたらどうするか。では、自前の核兵器をつくろうとなる。だがそれはできない。では、このような話はやめようということで、核の傘問題には蓋をしたままである。そうではなくて、日本国民がもっと勉強して核の傘も核兵器も北東アジアにおいては必要ないという方向にもっていけば、日本政府はそれでも核の傘が必要とはいえなくなる。そして、日本国民が、核の傘から出る、自前の核兵器も作らないと言うことがはっきりすれば、アメリカも先制核不使用の問題も含めて、中国と核廃絶の話ができるはずである。
私は、この数ヶ月の動きを見ていると、かなり良い雰囲気が出ていると思う。
今年(2001年)の始めの頃は海南島あたりで、アメリカの偵察機が撃墜されたりとか危なっかしい雰囲気があったが、その後北京でのオリンピック開催や中国のWTO加盟が決まったりして、中国は文字通り国際社会の一員として受け入れられたので、国際法を無視することなどできなくなってきた。WTO加盟ということは、貿易のやり方が国際法にもとずいてなければならないので、外貨稼ぎに武器や核ミサイルを輸出することができなくなる。また、以前、ソ連がアフガニスタンに侵攻した時、アメリカが音頭をとって同盟国にモスクワオリンピックのボイコットを呼びかけ、日本も参加を取りやめたことがあったが、今度も2008年の北京オリンピックも下手なことをするとボイコットされることになりかねない。
北朝鮮についていえば、日朝関係もいろいろあるが、私は、誤解をおそれずにはっきり申せば、北朝鮮、恐れるにたらず。逆に、北朝鮮の核ミサイルにびくびくすれば余計に、金正日氏は調子にのるだろう。日本人は北朝鮮の核の恫喝にひるむべきではない。北朝鮮がそのようなことをすれば、日本は未来永劫に北朝鮮とは国交を結ばないし、北朝鮮側は、日本からの膨大な賠償や補償などをもらい損なうわけであるから、そのようなことはするはずないと思う。北朝鮮の核問題は、大局的にみて恐れるに足りないと思う。北東アジアの非核化構想を実現するうえにおいて、北朝鮮はそれほどマイナスファクターではないと思う。問題はやはり中国と米国の関係である。米中関係がうまくいくような雰囲気を助長して、前向きに対処するようにプレッシャーをかけていくのがNGOとしての使命だと思う。
今回の同時多発テロがマイナスになったかプラスになったかはなかなか言いがたいのですが、トータルとしていえることは、決して楽観はできないが、北東アジアの非核化ができないような悪い状況になったわけではない。アメリカは対テロ戦争遂行上も中国やロシアの支持がほしいわけですから、うまくいけば、このような事件をきっかけとして、北東アジアの非核化あるいは核軍縮についても、良い雰囲気がでてきてくれるのではないかという気がしている。我々NGOとしてこのような展望を失ってはいけないわけで、特に北朝鮮については、現在、JPPNWが日本では唯一NGOとしてパイプをもっているので、10月に予定していた第3回IPPNW北アジア地域会議は実施できませんでしたが、ぜひ近い将来実現できるように日本としては北朝鮮を激励しつつ、できるだけ環境作りを続けていかなくてはと思う次第です。
原子力発電については、時間がなくなってきましたので、ここに「日本のエネルギー安全保障と原子力の将来:油断するな日本」と題するペーパーを用意してきたので、お読み頂きたいと思います。内容は、日本にとってエネルギーが大事で、消去法でいくと一番頼れるエネルギーは、原子力以外にない。地球温暖化の問題もあるし、中東が不安定になり第3次オイルショックのようなことが起こっても困らないように、原子力という保険をかけておく必要がある。風力、太陽熱、バイオマスなど、安くてクリーンでよいが、残念ながら力がない。むこう10年くらいで第1次エネルギーの2,3%くらいにしか伸びない。日本という巨大な力を維持していくのには当面原子力に頼らざるを得ない。このことを国民のみなさんによく説明して納得して頂かねばならない。同時に、原子力の技術専門家には今後一層頑張ってもらって、大きな事故は絶対に起こさないようにすることが大事である。
現在、原子力は総発電量の34〜35%を占めているが、この数字は今後半世紀ぐらいは大幅に減らないだろうと思われる。なんとか原子力を安全に効率よく運転した方がよいと思う。たしかに原発がテロなどに狙われたら大変なことだが、テロの危険があるからと原子力発電を全くなくすというのではなく、物事はある程度バランスをとって考えて行くべきで、常識的に判断すべきだと思う。エネルギー資源小国・消費大国日本にとって、原子力は貴重なエネルギー源であり、その重要性は将来とも大きく変わらないと思う。
これは勿論私個人の考えでありまして、IPPNW内ではご異存もあるかと思いますが、忌憚のない意見交換をしていただいて、できる限り現実的な方向への路線を進んでいただいたらと思います。
<以下は質疑応答>
質問者:1億の日本の国民が核廃絶を訴えても、世界の核保有国はOKするかどうか。このような団体に力のある政治家を交えることが重要では。提言だけで終わって実行力がないのはむなしい。例えば、国連を中心に核保有国から核兵器を全部買い取って、国連の監視下においてサハラ砂漠かどこかに埋めてしまえばどうかと思うのだが。
金子教授:むなしさと言う点では同感。悲観的になるのは非常に簡単である。かつてスエーデンの有名な軍縮担当大臣が「核兵器廃絶など不可能で、叫んでも無駄だ」と言って済むならどんなにすっきりするだろうと言ったことがあるが、やはり、それでは済まない。良心ある世界の誰かが、核兵器はいらない、廃絶すべきだと言い続けなければならない。それは、広島・長崎だと思う。問題は、しかし、核保有国が核をもちたいと思う限り、現在の国際社会では力ずくで取り上げあげるわけには行かないということだ。 国内であれば、拳銃や麻薬を持っているものがいれば警察がそこに行って取り上げることができるが、国際社会はそのようにはなってない。だから、核兵器そのものをなくすというのは、私は、残念ながら難しいと思う。難しいということでは、56年も前に、核兵器をつくったオッペンハイマー(原爆製造の中心人物)自身が、「一度パンドラの箱から出てしまったから元にはもどらない」といっている。
したがって、サハラ砂漠に埋めるといったような意味での核廃絶は残念ながらむずかしい。核兵器を廃絶することができる日がくるとすれば、それは、核兵器以上の威力がありかつ維持が簡単な次世代の超大型殺戮兵器ができたときだろう。そういうことがない限り無理やりに核兵器をなくすことは残念ながらできない。現在地球上には2万発とか3万発と言われていて、ゼロというのは、まだまだ遠い将来の話である。
そこで、あくまでも当面の措置としてだが、核兵器が地球上にあってもそれが絶対に使われないようにすれば、あるいは、使われにくいようにすればよいわけで、そこから、地域的な非核化地帯を作るという構想が生まれてきたわけである。すでに、南米や太平洋、東南アジアなどいくつかの非核地帯ができている。北東アジアでもそのような非核地帯をつくればよいわけである。フラストレーションや無力感はよくわかりますが、all or nothing ということではいけないのであって、一歩でも半歩でも前に進まなければならない。その1つの方法として、北東アジア非核化を考えているわけであるので、その実現のために皆様にも是非頑張って頂きたいと思うわけです。
司会者:テロ事件以後悲観的になっているが、NGOとしての私たちの使命について激励された気がいたします。