050318 余興: ちょっといいお話2題:「仏さまのお花に、よろしければ・・・」
殺伐としたニューズが溢れる時代、ちょっと心温まる話を2つご披露します。最初のものは小生がある地方紙に書いたもの。後のものは今朝配信されたあるメルマガに載っていたものです。ご参考まで。
--KK
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仏さまのお花に、よろしければ・・・
金子
熊夫
私の郷里は、戦国時代、織田・徳川連合軍と武田勝頼(信玄の長男)軍が激突し、信長が始めて鉄砲を効果的に使って天下無敵の武田騎馬軍団を打ち破った長篠合戦(天正3年=1575年)の古戦場として知られた
先日、市のロータリークラブで講演を頼まれて久しぶりに帰郷した際、ついでに、老齢で病気療養中の中学時代の恩師N先生をお見舞いしたところ、こんな素晴らしいお話を伺ったので、早速ご披露しておきたい。
N先生が、私たちの卒業後まだ現役の中学校校長当時、毎朝通る狭い道沿いの空き地に30坪ほどの野菜畑があった。そこには四季折々の草花がいつも美しく咲き乱れていて、傍に立て札が立っていた。「仏さまのお花に、よろしければご自由にお取り下さい。奥の方から取って、表通りは観賞用に残しませう。」
旧仮名遣いなので、立て札の主はお年寄りと推察できたが、どなたであろうか。この善行を紹介したいと思ったが、そんなことをして世間に知られればかえってご迷惑に思われるのではないかとN先生は考えた。そして、年月は過ぎた。
「これは菊の花です。秋になると、きれいな花を咲かせます。どのように変化するか、これから見ていて下さいね」と、立て札が変わっていた。この小径は、子供たちの通学路になっていたので、児童たちは毎朝この立て札と菊の花を見て登校する。ほのぼのとした風景である。そして、立て札も時々変わり、また数年が過ぎた。
ある時、この道を通ってN先生は驚いた。野菜畑は荒れ、仏さまの花も観賞用の花も枯れたままではないか。これは一体どうしたのか。N先生は、胸の不安を抑えて、急いで老人を探した。その人は、畑からはやや遠い所に住み、長年雑貨卸商を営む老舗の主人であった。既に病床に臥していたが、やがて92歳でこの世を去られたという。間もなく元の地主に返還されたその畑は、地主によって駐車場となり、景観は一変した。
その老人の名前は、50年以上も前に故郷を去った私には聞き覚えがなかったが、なんとなく、遠い昔子供の頃どこかで会った人のような、懐かしさを覚えた。
と同時に、
翻って、昨今は暗い話題や不愉快なニューズがマスコミに氾濫している。わが故里
この原稿を書き始めたとき、偶然N先生から毛筆の手紙が届いた。それには先日の病気見舞いへのお礼の言葉とともに、次のような言葉が綴られていた。
「日暮れて道遠し。秋は紅葉、冬は雪、春は花、初夏は新緑、去るもの総てこれ一回限り。老後の千金の日時を大事にしたいものと念じつつ……。 どうぞ、ご健勝にお過ごし下さいますように。」
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