050210 「北方領土の日」 : ご参考
ロシアのプーチン大統領の来日が色々取り沙汰されております。今年は日魯(露)
通好条調印から150年、日露戦争(日本海海戦)から100年、ソ連の対日参戦
(日ソ中立条約違反)から60年の節目の年です。
しかし、日露関係は領土問題が未解決のため戦後60年たってもまだ正式の平和
条約が結ばれておりません。たまたま一昨日(2/7)は「北方領土の日」でしたが、
これに因んで小泉首相が本日配信の内閣メルマガに次のような文章を寄ております。
ご参考まで。--KK
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[小泉総理のメッセージ]
● 北方領土の日
小泉純一郎です。
今から150年前の1855年2月7日、日本とロシアの間で日魯通好条
約が結ばれました。
この条約が結ばれる直前の1854年12月、日本は、安政の東海・南海
地震に見舞われました。和歌山県の浜口梧陵が稲むらに火をつけて村人を津
波から救った頃、津波は、伊豆半島にも押し寄せ、100人もの死者がでる
大きな被害を及ぼしました。
このとき下田で、流された人々を救い、けが人の治療を申し出たロシア人
がいました。日本と通商条約を結ぶため交渉に来ていたロシア全権代表、プ
チャーチン提督です。この時の日本側の交渉担当者は川路聖謨(としあきら)。
大津波は、下田港に停泊していたプチャーチン提督の乗艦のディアナ号に
も被害を与えました。ディアナ号は修理のため西伊豆の戸田(へだ)に向か
う途中、悪天候のため沈没。乗員たちは、地元の人々に助けられ、プチャー
チン提督は、日本側が新たに建造した船で無事帰国したのです。ロシア政府
は、この幕府の対応に大変感謝したといいます。
地震、津波の被害を受けながらも、両国は交渉を重ね、日魯通好条約を結
びました。これにより、日本とロシアの間に通商が開かれることになり、両
国の国境は択捉島とウルップ島の間と定められ、択捉島、国後島、色丹島及
び歯舞群島の北方四島が日本の領土として確定しました。
日本では、毎年2月7日を「北方領土の日」と定めて、全国的にさまざま
な行事が開かれます。
7日に九段会館で開かれた「北方領土返還要求全国大会」には、私も出席
する予定でしたが、風邪で欠席しました。
先週以来風邪気味で、皆さんにはご心配をおかけしましたが、おかげさま
で回復し、気力も十分。これからまた、元気いっぱいで、山積する内外の課
題に取り組んでまいります。
* 編集部注:日魯通好条約の締結時、ロシアの名称は「魯西亜」と表記し
ていました。1875年の樺太千島交換条約以降「魯」は使用されず、
「露」または「ロ」の表記が使用されています。
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小泉内閣メールマガジン 第175号 (2005/02/10)
[らいおんはーと〜小泉総理のメッセージ]から。